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Nossy(のっし―)です。



今回はかなり自由にマイケルについて語ろうと思う。

(多分、脱線するけど)




明日は(生きていれば)マイケルの
62歳の誕生日であった。



マイケル生誕62周年記念である。


僕にとってマイケルジャクソンとは、音楽に興味をもつきっかけとなった人物であり、

恐らくマイケルに出逢わなければ今でもまともに

音楽など聴いたりしていない人生を送っていたに違いない。


以前の記事にも書いたが、僕がはじめてマイケルの存在を認識したのは

TVのニュースであった。

マイケルは児童虐待など合計10個もの案件で裁判にかけられていた。

2000年代前半の事である。


僕は高校生であった。


マイケルの最初の印象は、もう素直に


『変な人』

であった。


異常に真っ白な肌、特徴的なサングラス、長髪(一見性別の見分けが付かない)、

真っ黒い服に身を包み、日傘をさしている。

周囲にはファンと思われる大衆が海のようになっていて、

「マイケル―ッ!」と叫んだりしている。

正直、『そんなにこの人かっこいいか?』と思った。

そして、マイケルは自分の乗ってきた車の上に乗り、

ファンに対して手を振って答えていた。


今、振り返ると、完全に無罪の罪をいくつもなすりつけられて

ヒドイ目にあっている怒りと、ファンに対する『僕は絶対にやってないし、

勝ってみせるよ、またみんなの所へ戻ってくるよ!』

という熱いメッセージを含んだ行為だったに違いない。



感動的だ。

シャイで場をわきまえ過ぎるくらいわきまえている彼が

ここまでの事(裁判中に車に乗って手を振る)をするというのは

相当の覚悟と決意表明であったに違いない。


だが、はじめてマイケルを観て、何も知らない僕は


『裁判中なのに車なんかに乗っかって
目立とうなんて不謹慎なやつ』



としか思わなかった。


そう、人はこれだけ誤解するし、物事がわからないモノなのである。

僕自身が実際にこういう感情の動きをした訳だから

世の中はきっと誤解の嵐なのだろう。

(別にマイケルの事に限った話ではない)


このエピソードを経て、僕は人を
よく観るようになった。



第一印象や一、二回のやりとりでの雰囲気が例えあまり良くないモノであっても

その気持ちをいったん保留し、

もっと違う視点でその人を観てみるという事をしている。


印象が良かった場合も同じくである。


大体が、相性というのもある。

僕にとってはあんまりうまい事いかない相手であっても

誰かにとってはとても重要で大切な存在である訳だ。


そういう場合は、距離を取る事で解決している。


どっちが正しいとか間違っているとかいう話にもつれ込むと

泥沼しか待っていない。

人の数ほど正解はあって、そんなモノをすり合わせる事は実際、不可能だ。

どちらかが折れるしかない。


だけど、折れる事が良い訳でもない。

勿論、社会的に、明らかに犯罪である、みたいな行為は容認できないだろうが

AかBか、みたいなモノは別に完全に正しい方などない。



要は『正しさ』ではなく『楽しさ』で
選択すればいい訳である。


いくら『正しく』ても、自分にとって『楽しく』なければ

距離を取っていいのではないだろうか?

心が折れたまま生活するのはとても苦しい。



『楽しさ』を優先するのは、多くの分別をもってしまった大人にとって

なかなか勇気の要る事だと思う。


世間一般の『正しさ』をはねのけて、自分の思う『楽しさ』を
押し通して生きるのは。



でも、その誰かの勇気をもった『楽しさ』が
時に世界を変えてしまう事もある。




マイケルジャクソンの人生とはまさに

勇気と覚悟を伴った『楽しさ』で突き進む
戦いであった。


白人と黒人とのくだらない壁、レコード会社との契約問題、

家族間での罵り合い、エンターテイメントの世界の闇、

金の亡者との皮肉な戦い、...



マイケルはそのすべてに勝利したかに観えましたが、

疲れ果ててしまったようにも思えます。

ある時からそれは使命となり、『楽しさ』は無かったかも知れない。



マイケルジャクソンという人はほんとうに音楽と踊りが大好きで

作曲が好きで、ステージでパフォーマンスをするのが好きという

もう、それだけの人でした。



これは元々の性格だと思います。

こういう風に何かに徹して生きているタイプの人は

誤解されやすいです。


特にスターになった人に対して世間は

『何か悪いところがあるだろう』と荒さがしして足元をすくおうとする。


僕からすると、こういう人達のほうが普通ではない人に思える。


マイケルは多くの人に

『変わった人』


と思われてきた。

僕も一番最初はそう思った。


でもふたを開ければ、


ただ自然体で生きていたい人、であった。



社会人になると大勢の人が仮面をかぶって生活をしている。

いつも仮面をつけているので、

仮面の顔がもはや自分の顔だと思い込んでしまっている人も居る。

仮面をかぶっている方が気持ちいいという人も居る。


別に仮面をかぶる事自体が悪い訳ではない。


ただ、人はどこかで仮面をまったく付けていない自分を出せる空間を

用意しておいたほうがいいように思う。


それは一人になった時でもいいし、そのまったく素の自分まで

理解してくれる他者が居るのであれば

それはとんでもなくラッキーだと思う。



マイケルにはそういう人物が居たのだろうか。


それは故人でもいいと思う。


マイケルジャクソンの人生を支えにして生きている人も

世界にはたくさん居ると思います。


ある意味で自分にとっての神様のような存在。


それでも、人は孤独になる事がある。

そんな時は、実は自分自身が神様なのだ。


周りの人、世間、世界、地球、...

大事なモノは果てしないが、


昔、『どうすれば世の中の為になれますか?』と聴いた男にマザーテレサは云った。


『では今すぐ家に帰って家族に愛を与えなさい』。



僕は、それ以上に


『自分に愛を与える』



という事の大切さを感じている。


自分に素直になる。自分を許す。

自分、頑張ってるよ。誰かに色々云われたけど、

アイツは私がどんな思いで生きているか知らない。

だから、別にいい。私は悪くない。



強気。



って大切だ。


世の中に出れば、ものすごく理不尽な事を云われたり、

意味の分からない事でキレられたり、

周囲の人全員から一斉に誤解されたりする。



安易に反省してはいけない。




あなたはあなたらしく生きていて、色んな人が色んな事を

云ってくるけれど、

肝心な事がひとつだけある。



誰も責任は取ってくれないのである。



その云いたい放題いってる野郎は

肝心な時にはもう跡形もなく居なくなっているのである。


そんな人の意見を鵜呑みにして生きていては

命がいくつあっても足りません。



『あなたがあの時こう云ったからしたのに
大失敗した!』

とあなたが訴えても、



『そんなの知らない。最後に決めたのは
アンタでしょ?』


と返されておしまいです。


だから、自分の人生を楽しむ為には自分で責任を取る勇気が
要ると思う。




誰かの責任にしないという勇気さえ忘れずに
生きていれば

何をしても、何をしなくても後悔しないし、

他人にひどく当たる事もないと思う。





でもね、



怒り。



という感情もたまには必要だろうな、とも思うのです。

怒りに飲まれてはいけないと思うけど。



マイケルジャクソンが『スリラー』を世界一の売り上げのアルバムに

押し上げる原動力になったのはどう考えても『優しさ』ではない。




強烈な『怒り』である。





80年代前半、...つまり、ある意味で一番の全盛期だったマイケルジャクソンは

周囲が観ても明かにわかるくらい怒っていた。



マイケルは基本的にとんでもなく優しい部類の人だと思う。


ステージの上でカリスマの様にバリバリ強烈な個性を発揮する彼も

ステージを降りれば、ほとんど引きこもりに近い

アニメ好きのオタク青年であった。


普通に歩いていても、どうぞどうぞと他人に道を譲り続けるような

遠慮がちな人。

とんでもなくシャイで、他人とまともに目も合わせられない人。

女性には苦手意識があり、すぐサングラスをかけてしまう。

(あ、空想で書いてませんよ(笑)自伝や関連本を参照してます)




が、




80年代前半の彼は、珍しく怒っていた。


いつまでも自分にまとわりついてくる家族やレコード会社。

前回のアルバム『OFF THE WALL』が、売れはしたものの、


賞レースでは惨敗だった事。


その理由が『黒人の音楽だから』という事。



1980年頃のインタビューを読んでも、

マイケルらしくない、というと誤解を生みそうだが、

まぁ、そういう周りの環境に相当辟易していたに違いない様子が
うかがえる。


マイケルは『スリラー』の制作を開始した時、


『このアルバムを歴史上で一番売れた
アルバムに絶対する!』



と云っていたそうです。


これは欲望というよりも、この周囲のめんどくさいなんやかんやを
全部一気に解消するためには



圧倒的な実力を見せつけて、誰もついて来られない、
文句も云えないゾーンに

突き抜けるしか方法がない。




と思っていたのでしょう。



そして彼の望みは実現した。

(また別の問題は生まれたが)





人には夢が必要だと思う。



最近特に思うのです。


夢がないと人生が枯れてしまう。

そこに辿りつくには、


出逢いも、別れも、誤解も、戦いも、泥沼も、
怒りも、切なさも、楽しさも、


いろいろあるんだろう。




みんな、生きろ。

人生捨てたもんじゃない。



夢があれば。




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