Nossy (のっしー)です。
今回は、筒美京平先生のデータベースです。
筒美京平さんと云えば、
邦楽売り上げランキング作曲家部門の第1位
の方なんです。
あのCD大バブル期の全盛期を経た小室哲哉ですら追いつけませんでした。
この記録はとてつもなく恐ろしく、素晴らしいモノです。
ご本人のインタビューを観ていると、
「いかに売れる曲を作るか、しか考えていなかった」
という発言がたびたび出てきます。
こう書くと「なんだよ、商売ばっかりかよ」
と思われるかも知れませんが、そうではありません。
いいものだから売れるのです。
勿論、新しいモノの追究という事などは後回しになっている印象はありますが、
その辺は、松本隆さんなどの相棒が補っていたように思います。
筒美さん自身は非常に温厚な方で、声を荒げたり、怒ったり、むしゃくしゃするタイプではなく、
淡々と与えられた仕事をこなす、という感じのまさに「職人タイプ」の
作曲家さんです。
人前に出るのもかたくなに拒否され、TV出演もほんの数回しかありません。
自分の欲望でもって作曲するというよりも、歌い手さんに合わせて、
どうやったらその人が売れるか、という事だけを考えた作曲です。
ある意味、超優秀なサラリーマンのような人です。
だって、邦楽作曲家ランキングの上位を観ていくと、
2位 小室哲哉
3位 織田哲郎
4位 桑田佳祐
5位 松本孝弘
という具合に、全員、顔が浮かびますよね?
筒美京平さんは第1位なのにも関わらず、おそらく「全然知らなかった」という
人が多いのではないでしょうか?
「名前はなんか聞いた事ある気がするけど...
誰だっけ?」
筒美さんが全盛期だった70年代、80年代に20代、30代(つまり、若かった頃)だった人
ですら、そんな感じだと思います。
ですが面白いのが、特にその時代に若者だった人で、カラオケなどで
筒美京平作曲の歌を歌った事がない人のほうが少ないのではないか、という事なんです。
それくらい、ある意味、
時代と寝た男なんですね。
しかし、これまた不思議なのですが、筒美さんの曲は今聴いても
(全曲とは云いませんが)全然古びていないのです。
いつまで経っても色あせない、謎の普遍感があるのです。
ハッキリ云うと、彼は
歌謡曲の王様です。
人がついつい口ずさんでしまう、歌ってしまいたくなるようなメロディー、フレーズ
を生み出す天才だと思います。
そして、少なくとも、なんだかんだ云っても、日本人は
歌謡曲大国なんです。
ミュージックは「歌う事ありき」と捉える人が実に多い。
例えば、アメリカや韓国では、そうじゃないかも知れません。
いかにノれるか、ダンスが楽しいか、グルーヴが
気持ちいいか、
そういう所にもっと力点が置かれているかも知れません。
でも、日本人は、ひと昔前よりかはグルーヴなども楽しんでいるかも知れませんが、
結局は「歌メロ」に主観が置かれ続けているように思います。
歌メロが良くないと大きくは売れない。
歌えない曲は売れない。
この価値観は2020年代でも、未だ不動のように思います。
ですから、結局は、
米津玄師 『Lemon』
あいみょん 『マリーゴールド』
Official髭男dism 『Pretender』
King Knu 『白日』
LiSA 『紅蓮華』
...みたいな曲がカラオケでは歌われ、カラオケで歌われないと人気が
出ないみたいな逆説的な考え方も出来るくらいです。
カラオケランキングを観てみても、
「いやいや、いつまでそれ歌ってんの(笑)」
という定番というと、
一青窈 『ハナミズキ』
MONGOL800 『小さな恋のうた』
スピッツ 『チェリー』
GReeeeN 『キセキ』
中島美嘉 『雪の華』
DREAMS COME TRUE 『未来予想図Ⅱ』
ORANGERANGE 『花』
Misia 『Everything』
石川さゆり 『津軽海峡・冬景色』
和田光司 『Butter-Fly』
高橋洋子 『残酷な天使のテーゼ』
スキマスイッチ 『奏(かなで)』
中島みゆき 『糸』
aiko 『カブトムシ』
椎名林檎 『丸の内サディスティック』
ゆず 『栄光の架橋』
ポルノグラフィティ 『サウダージ』
BUMP OF CHICKEN 『天体観測』
平井堅 『瞳をとじて』
Superfly 『愛をこめて花束を』
...という具合にジャンルは様々あれど、歌メロのしっかりした楽曲ばかりである。
面白いのが、
宇多田ヒカル、B‘z 、Mr.Children 、GLAY 、globe 、倉木麻衣、
安室奈美恵、
ZARD、Every Little Thing みたいな、
一応(CDバブル期に)数字的にバカ売れして、尚且つ現在も生き残っている
人々の楽曲が思ったより歌われていない事実には
「ほぉ」とはおもいましたが(笑)
歌うのが難しいのか、一般の感覚とは少し違うから、一般人が歌っても
そんなにサマにならないのか、なんなのか分からないのですが。
みんな、ミスチルやGLAY、宇多田や倉木麻衣って
歌わないんですね(笑)
なんかちょっと忘れられてる感すらあって
恐ろしいのですが...
しかも、この国はもはや『タイアップ祭り』みたいになっていて、
宇多田ヒカルと云えば、エヴァやキングダムハーツ、
倉木麻衣はコナン、
みたいな生き残り方っぽいのが「うへーッ」ってなる。「うへーッ」って(笑)
ミスチルはちょいちょいタイアップ作戦やってるけど、
B‘z やGLAY はそうでもないから、
一般認知度がダダ下がりになっている感がある。
歌唱力も演奏力も全盛期の時よりも数十倍アップして
ほとんど化物みたいになっているのにね。
フェスとかで大活躍しているのかな、多分。
えっと。
何の話だッ(大脱線)
踊る大脱線。
京平センセの話だった。
なぜこうも脱線するのか。もはや脱線はNossy のお家芸とも云えよう。
これが雑談力というヤツだな!(絶対に違う)
さて、筒美京平に話を戻そうぜ。
ここからは存分にYouTube の動画のリンクを貼りつけていきます。
だって、しょせん、どんなに語っても聴いてもらわないとわかんないじゃないですか?
まず、筒美先生の大々的な出世作と云えばこれでしょう。
いしだあゆみ 『ブルー・ライト・ヨコハマ』(1968年)
いしだあゆみ 『ブルー・ライト・ヨコハマ』- YouTube
...いかがでしょうか?
少し古い、と思われたかも知れませんが、しかし、つい歌ってしまう感じ、
ありませんか(笑)
これ、1968年当時の日本の歌謡曲としては相当斬新な曲だったのです。
筒美京平さんの最大の特徴は、
洋楽のフレイバーを歌謡曲に持ち込んだ事です。
勿論、それまでも中村八大さんなど、そういう感覚の持ち主はいらっしゃったのですが
より戦略的に、そこまで洋楽チックになり過ぎる事もなく、
かつ歌謡曲を一気に垢抜けさせたという功績があります。
これが、ユーミン、山下達郎、井上陽水、大滝詠一とかのいわゆるニューミュージック勢
はもっともっとダイレクトに洋楽をズガンとパクってきてどストレートに
やってしまうのですが、
筒美京平さんは、そういう風には仕上げないんですね。
絶対に『歌謡曲感』を残して作るんです。
ひとつの例を挙げます。
筒美京平先生は、南 沙織(みなみ さおり)さんのデビュー曲をまかされる事に
なりました。
その初顔合わせの時に、
筒美さんは南沙織さんに
「君は普段(日常生活の中で)はどんな歌を歌うの?」
とたずねたそうです。
南沙織さんは「ローズガーデンとかですかね...」という答えを
返したそうです。
Lynn Anderson 『Rose Garden』- YouTube
↑
この曲ですね。洋楽です。
数日後、筒美さんが作ってきたデビュー曲が『17才』でした。
南沙織 『17才』(1971年)
南沙織『17才』- Youtube
...とまぁ、こういう具合にですね、洋楽の歌謡曲チックなメロディーのみを
抜き出して、力業で歌謡曲に仕上げてしまうという訳なんです。
筒美さんはこういうのの天才です。
では、ここからは何となく有名所な70年代の筒美京平さんの作曲作品を
並べてみましょう。
尾崎紀世彦 『また逢う日まで』(1971年)
尾崎紀世彦『また逢う日まで』- YouTube
堺正章 『さらば恋人』(1971年)
堺正章『さらば恋人』- YouTube
麻丘めぐみ 『わたしの彼は左きき』(1973年)
麻丘めぐみ『わたしの彼は左きき』- YouTube
中原理恵 『東京ららばい』(1978年)
中原理恵『東京ららばい』- YouTube
庄野真代 『飛んでイスタンブール』(1978年)
庄野真代『飛んでイスタンブール』- YouTube
大橋純子 『たそがれマイ・ラブ』(1978年)
大橋純子『たそがれマイ・ラブ』- YouTube
ジュディ・オング 『魅せられて』(1979年)
ジュディ・オング『魅せられて』- YouTube
桑名正博 『セクシャルバイオレットNo.1』(1979年)
桑名正博『セクシャルバイオレットNo.1』- YouTube
あと、微妙に60年代ですが、サザエさんのテーマも筒美先生の作品です。
これはまだ現役で毎週流れてるでしょ?
宇野ゆう子 『サザエさん』(1969年)
宇野ゆう子『サザエさん』-YouTube
宇野ゆう子 『サザエさん一家』(1969年)
宇野ゆう子『サザエさん一家』- YouTube
ちなみにサザエさんって昔は日曜日だけじゃなくて火曜日にもやっていて
週2でやってたんですよ(1997年まで)
火曜日のほうはOP、EDが違うだけで、内容は過去話の再放送的な内容
だったんですが。
僕は普通にリアルタイムで観てましたが、
めっちゃサザエさんやってるな感はありましたね(笑)
...はい。
という様に、様々なタイプの歌手に様々な曲を書かれています。
やや夜の雰囲気が強い感じもありますが、湿っぽい感じやダークな感じではなく
健全な(?)というかワイン片手に男女が人生を冗談まじりに語らう的な
世界観でしょうか。
まぁ、作詞は筒美さんではないんですけどね。
メロディーにも既にそういう雰囲気がありますよね。
さて、70年代の筒美京平の仕事の紹介は
ここからが本番です。
筒美京平の70年代と云えば、
3人の『ヒロミ』への楽曲提供です。
上記のモノは割と単発の仕事に近い。
しかし、3人のヒロミに対してはデビューからある程度の時期まで
集中して楽曲提供をし続けるというプロデューサー的な役割で
臨んでいます。
まずは、郷ひろみです。
今現在とは違ってかなり中性的なイメージと声の持ち主だった彼は
筒美京平作品によって売れた一人でしょう。
代表作品だけ挙げておきましょう。
郷ひろみ 『男の子女の子』(1972年)
郷ひろみ『男の子女の子』- YouTube
...これがデビュー曲。こんな歌、郷ひろみにしか歌えないと思う(笑)
郷ひろみ 『花とみつばち』(1974年)
郷ひろみ『花とみつばち』- YouTube
...これもヒットしましたが、筒美先生にしてはややメロディー弱めか。
作詞に助けられてる感はあります。
でも、70年代の筒美さんはとんでもなく忙しく、なんでも
最高で一ヶ月で40曲作った時期もあったとか。
そりゃあ、消耗もしますよ(笑)
それでも仕事があまりにもはやい為、一時期は
『筒美京平というのは作家集団の共同ペンネームではないのか?』
と思われていたそうです。実際はワーカホリックな一人の作曲家です。
郷ひろみ 『よろしく哀愁』(1974年)
郷ひろみ『よろしく哀愁』- YouTube
...こちらは大ヒット。ある種、筒美先生のお得意のメロディ―ですよね。
これがばっちり決まって一気にスターダムへと。
郷ひろみ 『誘われてフラメンコ』(1975年)
郷ひろみ『誘われてフラメンコ』- YouTube
...はい、こういうフックが効きまくりの癖のあるメロディ―。
なんというか、メカメカしい感じの構成も筒美先生の特徴です。
コレ系の発展型は後にキョンキョンなどでもっと顕著になります。
これ以降も郷ひろみへの楽曲提供は続きますが、筒美作品としては
このあたりが山だったように思いますね。
そして今となっては、上記の筒美京平作品よりも、
『お嫁サンバ』、『2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-』、
『言えないよ』、
『GOLDFINGER ‘99』、『獣は裸になりたがる』...
みたいな、もっと男性性を強調したような曲というか、エロティックな大人の男性路線に
シフトしてもっと一段とヒット歌手になりましたね。
実際、最初こそ中性的なボーヤ風でしたが、かなりの
肉食系男子ですからね(笑)
それを素直に露呈させる事で真の売れっ子になったイメージ、あります。
『男の子女の子』ではありません。
郷ひろみは超男の子です(笑)
さて、続いてのヒロミは、
太田裕美です。
...この人にも筒美先生は随分と曲を書きましたが、
結果論、今一歩跳ねずに終わりましたね。
ただ、一応大ヒット曲も出ましたし、本人のキャラクターも強いので
生き残ってはいます。
太田裕美 『雨だれ』(1974年)
太田裕美『雨だれ』- YouTube
...デビュー曲。寂し気ですがいいメロディ―。派手さはありませんが。
ただし、この先、2nd,3rd とシングルがコケて大ピンチに!
筒美京平もいつもいつも抜群という訳にはいきません。
そこで、組んでいた作詞家の松本隆さんから打開策が提案されます。
松本隆「俺が先に詞を書くから、
それにメロディ―付けてください!」
いわゆる『詞先』の曲作りですね。
松本隆さんがその時、筒美先生に渡した歌詞がこちら。
恋人よ 僕は旅立つ
東へと向かう列車で
はなやいだ街で 君への贈り物
探す 探すつもりだ
いいえ あなた 私は欲しいものは
ないのよ
ただ 都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って
...思いっきりストーリーやん(笑)
しかもコレ、途中で男女が入れ替わってるぞっていう。
単純なようでギミック満載の歌詞である。
これをどう料理するのか筒美京平。
太田裕美 『木綿のハンカチーフ』(1975年)
太田裕美『木綿のハンカチーフ』- YouTube
...はい。ただの天才ですね(笑)
これ、話聴かないと、誰も詞先だと思わないのではないだろうか?
ジョン・レノンみたいな事になっとるぞっていう。
やっぱり詞が先にどしっ、とある状態からメロディ―作ると
かなり独特なメロディー出ますよね。
まぁ、ややサザエさんっぽいですが(笑)
太田裕美さんは歌手としてはこの辺が山だったかな、と。
最後のヒロミは歌のとても上手なヒロミ、
岩崎宏美です。
...姉妹で歌手で、妹の岩崎良美さんは『タッチ』の一発ヒットで
生き残ってる感じですが、お姉ちゃんはかなりの歌い手。
というのも、この記事に貼りつけてきた生歌唱の動画観てて思ったのが
「歌、ギリギリの人多いな(笑)」
っていう。
多分、歌唱力だけで云えば、そこらへんのカラオケで歌ってる中学生のほうが
上手いなって。
勿論、昔はカラオケとかなかったし、マイクもそんないいもんじゃなかったでしょうから
ヘタに聞こえるだけかも知れないし、
歌って技術だけじゃなくて歌心とか人間力とか含めての判断になると
思いますしね。
別にいいんですけど。
岩崎宏美 『ロマンス』(1975年)
岩崎宏美『ロマンス』- Youtube
...全部サビ、みたいな豪華な楽曲です。
極上のメロディ―がぐるんぐるん回転します。2nd シングル。
岩崎宏美『センチメンタル』(1975年)
岩崎宏美『センチメンタル』- YouTube
...3rd シングル。これも大ヒット。メロディ―はやや弱め。
京平節はあるものの、岩崎宏美の歌唱力に助けられてるかな。
岩崎宏美『シンデレラ・ハネムーン』(1978年)
岩崎宏美『シンデレラ・ハネムーン』- Youtube
...とても良い楽曲です。実はチャート的にはTOP10ヒットには
なりませんでしたが、70年代の筒美京平楽曲の総決算のような曲だと思います。
それをこの絶大な歌唱力を誇る岩崎宏美が歌う。
完璧でしょうね。
...そんな訳で、筒美京平の70年代はいかがだったでしょうか。
まだ驚くなかれ。
筒美京平の真価が発揮されるのは
80年代なのですから。
一息、つきたい所ですが、あえて一つの記事にまとめてしまいます、へっへっへっ(笑)
読みつかれた方は、コーヒーでも飲んで一休みしてくだされ。
........では、いきます。
まずは、70年代の時と同じく、何となく単発系の楽曲提供から攻めていきましょうかね。
ただ、単発といっても、この業界は当たれば、大体次もお願いします、と
依頼が来るので、
連続で取り組んでいたりはするんですけどね。
まぁ、有名な楽曲だけ紹介します。詳細はウィキってください。
松本伊代 『センチメンタル・ジャーニー』(1981年)
松本伊代『センチメンタル・ジャーニー』- YouTube
...筒美京平節が来ましたね。これは明るいほうの筒美節。
こういう楽曲を聴いているとAKB48 的な匂いもありますね。
『恋するフォーチュンクッキー』とか、ああいう曲は、この辺の
筒美さんの楽曲からの影響が強いと思いますし、
古い、と感じながらも、まだまだ賞味期限切れてなさそうでしょ?
稲垣潤一 『ドラマティック・レイン』(1982年)
稲垣潤一『ドラマティック・レイン』- YouTube
...こんな感じのメロディ―も書けちゃうんです、筒美先生。
明らかに進化しています。勉強して取り込んでる。
ちょっとニューミュージックの香りすらしますもん。
筒美さんは、ニューミュージック勢をライバルとして敵対視していた面もあって
でも、一方ではすごい、と認めてもいた訳であって、
こういう曲ではそれが出ちゃったかな、と。
明らかにいつもの京平節ではないメロディ―。
なんかどことなくユーミンっぽい。
早見優 『夏色のナンシ―』(1983年)
早見優『夏色のナンシー』- YouTube
...筒美京平の功罪。
功績は勿論、日本の歌謡曲を大きくアップデートした事。
罪というのもないかも知れないが、
一時期は、
『神様、仏様、筒美京平様』
という時代があったように思う。
つまり、ほんとうならば箸にも棒にも引っ掛からない筈のアイドルに
筒美京平の曲をあてがって、取り合えずヒットを飛ばしてしまおうという
安易な作戦である。
実際、そんなでたらめを成り立たせていた筒美京平も化物なのだが、
一回HITを飛ばしたくらいでずっと生き残れるほど
甘い世界ではないのだ。
それで人生が狂ったアイドルも多数居ると思う。
今現在とは変な話、逆で、
今は、アイドルグループを応援する為にCDを買ったりするけど曲は
さっぱり興味なし。
筒美京平の場合は曲が良くて食いついてきたものの、
アイドルのタレントパワーが曲に追いつかなくて破滅するパターンである。
別に早見優がそうだとは云ってないが。
C-C-B 『Romanticが止まらない』(1985年)
C-C-B『Romanticが止まらない』- YouTube
...80年代は筒美先生はあまりアレンジには手を出していない。
70年代は筒美さん自身のアレンジも多かったのだが。
しかし、ここが思わぬ収穫で、筒美メロディ―には80年代のピコピコサウンドが
意外にもピッタリだったのである。
この効果のお陰で、多少元のメロディ―が弱い場合でも
それを大きく補う事が出来ている。
筒美先生はサビはお得意だが、時にAメロなどが弱い場合も多い。
(多作過ぎるので仕方ないのであるが)
この曲は全編通してよいメロディ―だとは思うが。
(じゃあ、なぜこの話題を出したのか(笑))
斉藤由貴 『卒業』(1985年)
斉藤由貴『卒業』- YouTube
...実はこの曲、だいぶ上の方に書いた、
【松本隆/筒美京平】 コンビの作品である。いや、この2人自体は
しょっちゅうコンビを組んでヒットを飛ばしていたのだが、
この曲はあの『木綿のハンカチーフ』と同じく詞先で作られた曲である。
だから、もうなんかメロディーがとんでもなく摩訶不思議なラインを辿っている(笑)
でも、なんかいい。メランコリックだ。
僕がはるか昔にこの曲を最初に聴いた時の印象は
『GLAYみたいなメロディ―だな』
というモノであった。正確には逆なのだが(笑)
よく詞先でこれだけのメロディ―が付けられるものだ。
きっと沢山の世界観のストックがあって、どうとでも言葉にそわせられる感性を
もっていらっしゃるのであろう。
本田美奈子 『Temptation(誘惑)』(1985年)
本田美奈子『Temptation(誘惑)』- YouTube
...本田美奈子である。彼女は歌上手い、ルックス良し、存在感あり、の
文句ない逸材である。
実際、ある程度は売れた。
が、大きくは跳ねなかった。
芸能界には
『かぶったら印象の弱いほうが消える』
というセオリーがある。
本田美奈子の場合、それは中森明菜であると思う。
80年代のアイドル戦国時代において、
明るくてフレッシュ系なら松田聖子。(ぶりっ子)
ダークで影がある系なら中森明菜。(ツッパリ)
癖が強くて個性的なら小泉今日子。(ボーイッシュ)
この3強にどう食い込んでいくか、というのがある種の課題でもあった。
しかし、この3人は、たけし、さんま、タモリのように
容易に崩せるような相手ではなかった。
結局、3人の牙城は80年代いっぱいは崩れず、星の数ほどの
アイドルが流れ星のごとく一瞬光ったと思った次の瞬間には
忘却の彼方へ消えていった。
勿論、本田美奈子はそんな話で片付けられるようなやわな人材では
なかった訳だが。
少年隊 『仮面舞踏会』(1985年)
少年隊『仮面舞踏会』- YouTube
...ジャニーさんは筒美京平を非常に高く買っていた。
(誰でもそうだと思うが(笑))
だから、ここぞという時には、筒美京平に必ずといって良いほど
作曲依頼をしている。
筒美京平の存在なくしてジャニーズの現在の天下は
なかったといっても過言ではあるまい。
この少年隊においてもその図式が成り立つ。
筒美京平が90年代に入って少し活動をゆるめていった後釜になったのは
馬飼野康二であった。
ジャニーズは筒美京平と馬飼野康二という2人の作曲家によって
芸能界のトップに君臨したのである。
中山美穂 『WAKU WAKU させて』(1986年)
中山美穂『WAKU WAKU させて』- YouTube
...みぽりんは3強の変な合間をくぐって成功できたアイドルかも知れない。
ただ、歌手としてのカテゴリーなのかはよく分からないが。
しかし、のちには織田哲郎作曲の『世界中の誰よりきっと』や『ただ泣きたくなるの』、
『遠い街のどこかで...』など、兎に角楽曲にも恵まれ、ドラマや映画にも
恵まれた。
辻仁成との結婚は成功しなかったが経験値にしてしまった様な強さもある。
なんだろうこのカテゴライズできない不思議さは。
外国が妙に似合う人でもある(笑)
正直、少し書くのに疲れてきた。
だが、これからが本番なのである。
筒美京平楽曲で最も成功した3人の歌手について
書かねばなるまい。
まずは、
近藤真彦である。
この人ほど筒美京平の恩恵にあずかった人も居まい。
もういちいちメンドクサイから楽曲を羅列してしまおう。
『スニーカーぶる~す』(1980年)
近藤真彦『スニーカーぶる~す』- YouTube
『ブルージーンズメモリー』(1981年)
近藤真彦『ブルージーンズメモリー』- YouTube
『ギンギラギンにさりげなく』(1981年)
近藤真彦『ギンギラギンにさりげなく』- YouTube
『情熱☆熱風☽せれなーで』(1982年)
近藤真彦『情熱☆熱風☽せれなーで』- YouTube
『ふられてBANZAI』(1982年)
近藤真彦『ふられてBANZAI』- YouTube
...とまぁ、まだまだあるが、この辺で。
どれもしっかりした良い楽曲で、マッチにも合っている。
マッチの歌は決して上手くはないが、楽曲をムリヤリにでも自分のモノに
してしまえるエネルギーがある。
とにかく突っ走ってから考えようという様な火の玉ボーイである。
しかし、出す曲出す曲、軒並みチャートの1位に叩き込んだ。
上の楽曲も全部1位になっている。
これは単なる楽曲の良さを超えて、近藤真彦 × 筒美京平 という
化学反応が起きている。
筒美先生はそんな事を自覚してはいないだろうが、
かつて阿久悠が沢田研二に詞を書きながらも自分を投影させていたかのように、
筒美京平という男の中のエネルギッシュな面が近藤真彦に投影されて
いたのではなかろうか。
これは運命の出逢いだと思うのである。
後で紹介するが、筒美さんはトシちゃんにも楽曲を多く提供しているが
同じようなケミストリーは起きていないように思える。
マッチはほんとうに楽曲提供に恵まれていて(まぁ、すごいプッシュされたという
事でもあるのだろうが)
筒美作品以外でも、
『ハイティーン・ブギ』/山下達郎
『ケジメなさい』/馬飼野康二
『愚か者』/井上尭之
『アンダルシアに憧れて』/真島昌利
『ミッドナイト・シャッフル』/ジョー・リノイエ
というように、いくらでもヒット曲をもっている。
流石、ジャニーズの長男。そして彼はマダムキラーとしても有名で
メリー喜多川、黒柳徹子、美空ひばりなどの超大御所のマダムに愛され、貢がれ、
最後はレーサーに転身するという完全なタブーをやらかしても干される事なく
のうのうと生きて居る。
本当に、THE 芸能人とは彼みたいなヤツの事を云うのである。
マッチとくれば、そのライバルであった
田原俊彦も忘れてはなるまい。
トシちゃんもマッチほどではないにせよ、筒美京平の力で
生き残った歌手と云えるだろう。
デビュー当初は接点が無かったものの、いわゆる売り上げがパッ、としなくなって
きたので、
テコ入れで筒美京平が投入されたのである。
トシちゃんも歌唱力に関してはマッチといい勝負だが、
彼の売りはキレのあるマイケル仕込みのダンスである。
踊りがメチャメチャ上手いのである。
筒美京平提供曲を羅列してみよう。
『君に薔薇薔薇...という感じ』(1982年)
田原俊彦『君に薔薇薔薇...という感じ』- Youube
『シャワーな気分』(1983年)
田原俊彦『シャワーな気分』- YouTube
『抱きしめてTONIGHT』(1988年)
田原俊彦『抱きしめてTONIGHT』- YouTube
『かっこつかないね』(1988年)
田原俊彦『かっこつかないね』- YouTube
...このあたりだろうか。
マッチよりかは蜜月期間は少ないものの、なかなかの楽曲である。
特に『抱きしめてTONIGHT』あたりは、80年代の筒美京平作品の
集大成的な楽曲といって良い出来である。
マッチ、トシちゃん、少年隊の出世に大きく貢献した筒美京平の
ジャニーズへの影響力はすさまじいモノがあると思う。
そして80年代、筒美京平の仕事としてこの人を無視する事は
絶対にできない、
最大最強の飛び道具アイドルが存在する。
KYON² こと
小泉今日子である。
これまた筒美京平の楽曲の恩恵にあずかったアイドルである。
彼女にあてがわれた楽曲は勿論、名曲ではあるのだが、
少しばかり(かなりか)トリッキーな楽曲であったのである。
80年代のアイドルを支える裏方に居たメンツは、
70年代に自らバンド活動をし、一定の成功をおさめた強者も多かった。
松田聖子には、チューリップの財津和夫やはっぴいえんどの大瀧詠一、
ユーミンらが、かかわっていた。
中森明菜のシングルは、井上陽水や玉置浩二、大沢誉志幸、細野晴臣なども
楽曲提供していた。
詰まり、そういったロック畑の連中が、普通でありきたりな楽曲を書く訳がないという。
ビートルズとか通ってる人達だから。
そうなると、ちょっと実験的な楽曲でも作って、アイドルに歌わせて
世の中に問うてみようか、
などという気持ちにもなる。
しかし、右も左もわからない、ズブの16,17才の「何となく歌うたえるかも知れません」
程度の女の子には荷が重すぎるのだ。
ロックおじさんが一生懸命こねくり回して作ったサイケで近未来的な楽曲の世界観を
何となくでもいいからくみ取って、歌いこなせる逸材などなかなか居ない。
更には、それが仮に出来たとしたって、
一般ウケしなければ採用もされなくなってしまう。
そういう諸々の事情を全部解消してくれるだけの力量を兼ね備えていたのが
小泉今日子だったのである。
キョンキョンは特別歌が上手い訳ではなかったし、独特の声質というほどの声でも
なかった。
しかし、何せ絶世の美少女であったし、尚且つ、それを売りにするどころか
笑い飛ばしたり、斜に構えるくらいのスタンスであった。
兎に角、普通の事が嫌いで、変な方向性を目指したがった。要領も抜群。
同性にもモテるタイプの美人であった。
要はロックの申し子のような女の子であったのだ。
だから、キョンキョンにはとにかくギミック満載なロックでサイケな曲が
集まってきた。
筒美京平にしても...彼はそういうつもりではなかったかも知れないが、
ヤハリ、一筋縄ではいかないタイプの楽曲をキョンキョンに提供している。
筒美先生のひねりの効いた楽曲が堪能できるのである。
『まっ赤な女の子』(1983年)
小泉今日子『まっ赤な女の子』- YouTube
『迷宮のアンドローラ』(1984年)
小泉今日子『迷宮のアンドローラ』- YouTube
『ヤマトナデシコ七変化』(1984年)
小泉今日子『ヤマトナデシコ七変化』- Youtube
『魔女』(1985年)
小泉今日子『魔女』- YouTube
『なんてったってアイドル』(1985年)
小泉今日子『なんてったってアイドル』- YouTube
『夜明けのMEW』(1986年)
小泉今日子『夜明けのMEW』- YouTube
...とまぁ、この辺で。
結構とトリッキーでしょう。
なんかショーレースとは無縁そうな曲ばかりですが、
ロック好きにはたまらない楽曲となっております。
筒美先生以外では、
『木枯らしに抱かれて』/高見沢俊彦
『怪盗ルビイ』/大滝詠一
『Fade Out』/近田春夫
『あなたに会えてよかった』/小林武史
などなど、トリッキー系統から名曲までそろっている。
キョンキョンはホントにスゴイと思います。
...その後、筒美さんは、バンドブームの勢いに押されながらも、90年代以降も名曲を
誕生させました。
ごく一部を羅列。
NOKKO 『人魚』(1994年)
NOKKO『人魚』- YouTube
小沢健二『強い気持ち・強い愛』(1995年)
小沢健二『強い気持ち・強い愛』- YouTube
KinKi Kids 『やめないで,PURE』(1999年)
Kinki Kids『やめないで,PURE』- YouTube
TOKIO 『AMBITIOUS JAPAN !』(2003年)
TOKIO『AMBITIOUS JAPAN!』- YouTube
...というように、数こそ減ったものの、確実にHITを世に放ちました。
それにしても感性の若さに驚きます。
2003年なんて、筒美さんは63歳の時ですからね。
そして現在は80歳。
まだまだお元気です。
筒美京平先生の残した素晴らしい作品たちはこれから先も歌いつがれて
ゆくでしょう。
僕も彼に負けないように美しいメロディ―を紡ぎたいと思います。
これまたYouTubeに素晴らしい筒美京平先生の作曲作品の
まとめ動画がありましたので、リンクを貼っておきますね。
少し長めの動画ですが、筒美メロディーを存分に堪能できます。↓↓
★★【筒美京平作曲作品メドレー】-YouTube★★
いやー、やっぱりいいメロだわ。
ではでは、ほんとうに長文をここまで読んでいただき
ありがとうございます。
皆さんに幸せが訪れますように。
裏面へようこそ(笑)
ここでは本題とはまったく関係ない話を
展開。
昔のアイドルの曲で気に入っているモノを
何曲か紹介します。
筒美先生関係なし。
高岡早紀『眠れぬ森の美女』
高岡早紀『眠れぬ森の美女』- YouTube
女優の高岡早紀さん。
デビュー時は歌手活動もされていました。
大体、どのアイドルもよほど音痴でもない限り、
『歌手やってみようか?』
と、事務所に云われるものである。
ただ、本人にまったくその気がない場合も少なくない。高岡さんの場合は
まさにその典型であり、
『なんで私が歌を歌わなきゃいけないのよ(怒)』
と、当時の心境を語っておられました。
が、
なかなかどうして。かなりいい出来栄えなのです。
本人のやる気のなさが、妙な気だるい雰囲気をかもし出していて
異国情緒あふれる独特の世界観を創り出しています。
しかも、作曲にはフォーククルセダーズの加藤和彦さんも関わっていて
良曲多し。
きっと本人にやる気があれば、この路線でもある程度いけたのではないか。
(無理かな(笑))
仲間由紀恵 『負けない愛がきっとある』
仲間由紀恵『負けない愛がきっとある』- YouTube
はい。これも事務所プッシュ感が見え隠れしてます(笑)
本人はどういう気持ちだったのだろう。
それにしてもこのPV すごいな(笑)
90年代ってこんなだよー、っていう、総決算みたいな作品である。
渋谷系~みたいな。
取り合えずなんでもやってみる姿勢が大切という事ですな。
広末涼子 『Maji でKoi する5秒前』
広末涼子『MajiでKoiする5秒前』- YouTube
これはどうなんでしょう。
本人もおそらく多少乗り気のようにも思える。
作曲はなんと竹内まりやさん。
世間的にはこの次の『大スキ』のほうなのだろうけど、個人的にはこっち。
この人は歌手でも売れたといっていいでしょう。
ただ、女優業のほうが随分向いていただけ。
思えば、歌手としても、役者としても売れ続けた人というのは
ほんとうに少ない。
なぜか難しいのである。
頭の使う部分がかなり違う気がする。
そういう意味では、福山雅治というのはとんでもなくレアケースだと思う。
ポケットビスケッツ(千秋) Red Angel
ポケットビスケッツ(千秋)- YouTube
『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』という番組から誕生した
バラエティータレントで構成されたユニットである。
こういうタイプのユニットはちょくちょく出てくるが、大抵不発に終わる。
だが、この、千秋、ウッチャン、ウド鈴木のポケットビスケッツなるユニットは
ミリオンセラーのシングルを何枚も出すなど完全に売れた。
この曲もミリオンである。
まぐれでミリオンはいかないと思うからほんとうにスゴイと思う。
(AKB系はのぞく)
作曲はパッパラー河合さん。爆風スランプのギターの方である。
千秋はノリノリで、それこそ今でも歌手活動に乗り気だが、今一歩
需要がありそうで無いのが現状である。
趣味の延長で勢いで売れる、みたいな事がかなり難しくなった昨今。
音楽界のレベルは相対的には上がったように思われる。
内田有紀 『TENCAを取ろう!- 内田の野望』
内田有紀『TENCAを取ろう!- 内田の野望』- YouTube
一応、最後は筒美京平先生の楽曲でしめたいと思います(笑)
内田有紀である。
この事例でわかるのが、別に美人だから売れる訳ではない、というところ。
『何いってんだてめー』
と思ったかも知れないが、誰が観ても絶世の美女、もう完全に色気爆発、
みたいな女性が、歌手で大成したためしがない。
しいて云えばキョンキョンくらいだが、キョンキョンもある意味独特の顔立ちだし、
色気がどうのというタイプではない。
内田有紀は11月生まれのさそり座であるが、これまた
11月のさそり座のアイドルというのもなかなか居ない。
パッ、と浮かぶのは指原莉乃であるが、あれは単体ではない。グループの
力であるし、指原の売れ方というのも、アイドル的な売れ方というよりも、
特定のパトロンに貢いでもらって上がっていくような売れ方である。
11月のさそり座女性は全体的に器用で頭が良いし、
内田有紀にしたって、ヴィジュアル、歌、世界観も完璧にこなしている。
...にも関わらず、売れる臭がまったくしない(笑)
11月のさそり座男性はうって変わってアイドルが多いのだが、なぜなのだろう。
頭が良すぎる為に、きっとあざとさや計算がにじみ出てしまうのだろうかな。
アイドルなんて、ちょっと天然くらいで丁度いい。
応援したくなる対象である必要がある。
自立心が高く、いったん恋愛関係になると一転、超重量級で
刺し違えるかのような恋を展開するさそり座女性はアイドルよりも
大人のお店の女王様が向いていそうだ。
.....なんの話だ?(笑)
でも、統計でも日本のアイドルって圧倒的にかに座とうお座が多いの知ってます?
あくまで統計学上の話ですが。
.....という訳で、裏面終了~
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