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Nossy (のっし-)です。


忙しさに撲殺される.....


仕事から帰ってくる。ドッ、と疲れが出る。

僕はいつの間にか寝ていた。



起きたら21:00 である。


そして、次の朝も早い。僕は22:00台には
寝ている。


仕事に備える為である。



恐らく、もっともっと働いている人は居よう。



だが、そういう問題ではない。



夏の暑さが、怠惰と眠気を大量にもって
やってくる。



僕は最近、真剣に考えている。


これでは僕が僕でなくなってしまう。




僕にはもっとボ-ッ、とする時間が
必要なのである。




僕は自分で云うのもなんだが、働き者である。



僕の今の会社の同期で、一回も休んだ事のないのは、

僕以外にはあと1人だけである。


22人同期が居たが、現在8人である。



ただ、仕事は出来ないのだが(笑)
(職場が合えば、たまに出来る時もあるが)




たまに出来たのに結局辞めてきたのは

その仕事に魅力を感じなかったからであろう。


あとは、人に疲れて辞めるのだ。




ヘタレと云えばいい。幾らでも。


だが、僕は僕をほめてやる。


よくやっている。



必ずやこの頑張りは将来、実を結ぶであろう。



だが、流石の僕もそろそろ限界であり、

違う道を検討している。



違う道とはなんだ?




僕は仕事について真剣に考えた。



『ここに骨を埋められるか?』



そういう覚悟は要る。

そんな気がする。



だが、バカみたく働く必要はない。


ただ、逃げない、継続する覚悟をもつという
事である。



それは、プロである覚悟でもある。



怠けてもいい、ゆっくりやってもいい、

時に休んでもいい、



しかし、辞めない事だ。



僕は帰属意識が嫌いだった。


〇〇会社に属している、そういうのが嫌だった。




しかし、それこそは非常に大切なのだと
今頃になって分かった。


馬であり、鹿である。



いわゆる、『業界的』な概念である。



これこそは、その人に生きがいを与える。


そういう風に考えた事などなかった。




僕は一匹狼スタイルで生きてきた。


実際、人付き合いは大の苦手だ。




だが、人の為になるからこそ自分の人生も
充実するし、

お金もたくさん貰えるのだ。



そして、自分の納得いく分野で

帰属意識をもつのは楽しい事なのかも知れない。



ゲスの極み乙女。の川谷絵音と、

サカナクションの山口一郎が


先輩後輩の関係ながら、ユ-ミンをネタに

話す姿はとてもホッコリさせられるモノがあった。




彼らはお互いに同じ業界で戦う戦士だ。


そして、カタチは違えど音楽業界という世界を

進化発展させようとしている。



ユ-ミン大先生がしてきたように。



過去にもらった感動や恩恵を

自分たちの手でリビルドし、


新しく放とうと奮闘している。




仕事とは、結局、バトンを渡していくリレ-みたいなモノなのかなと思う。



その分野の歴史を愛し、自分たちで

発展させる。継続させる。



それこそがやりがいなのだな。



そういう意味で、尊敬する先輩は必要だと
思った。

それは故人でもいい。



兎に角、バトンをもらって、走るのだ。



お金の為だけに働いていると、


この種の考え方は生まれない。




1日や2日の話では到底ないのである。



だからこそ、骨を埋められる覚悟があれば


技術などなくても何とかなるのだ。





逆に技術があっても、骨を埋める覚悟が

なければ、


神は最高の奇跡や絶好のチャンス

を与えてくれない。



ホントにそう思った。



僕は今の仕事は辞めるだろう。


そして、骨を埋める場所をそろそろ
見つけたい。


究極を云うと、一番の帰属先は『自分』だろう。

自分の歴史こそは最大のブランドである。


汚れた事も傷もあざも全部愛すべきレガシ-だ。



ともすると、人はそれを隠そうとする。


しかし、自分の後ろに象が居て、それを
隠そうとするかのように


そんな事は隠しようがないのである。

察しがいい人達には全部バレているのである。



逆に開き直って、象に乗ってしまうくらい
大胆なほうが

成功するだろう。


山も谷も愛する事が出来るし、また、愛される。



山だけ愛してくる奴らなどさっさと捨ててしまえ。


そして、自分の谷を愛せた時、

人は無敵になれるのかも知れない。



そして、谷にこそ、ベストプレイスが
ありそうな気がしないだろうか?



谷というが、それはムダをそぎ落とした結果、

最後に残る必需品という事である。


全部失っても、尚、残っているモノである。



それは無くならない。



.....




クタクタの中、この文章を書いた。


しかし、とてもスッキリした。



云いたかったのだろう。


書かないと、どんなに強烈な気持ちも

流れていってしまう。




カタチにするというのは定着させる事だ。


僕は空想の中で遊ぶのが好きだが、

この世に居る限りは、カタチに

し続けなければ


どんどん流れていくだけである。



恥も外聞もかなぐり捨てて、

ひたすらに書き、ひたすらに走るのである。




おやすみなさい。