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Nossy (のっし-) です。



今回は、エヴァンゲリオンについて

テキト-に語れるだけ語ります。


*(多分、かなり脱線しますので、

マジメにエヴァンゲリオンの内容について

語ったモノだけを読まれたい人は帰って下さい)






エヴァっていうか、僕にとってのエヴァンゲリオン
って、

『庵野秀明』


なんですよ。



みんなエヴァの色んな所が好きだというでしょうが

僕は結局、『庵野秀明』という人の


感性というか、スタイルというか、思想というか、


そういうのが好きなんだと思いますね。




だって、ぶっちゃけてしまうと、

エヴァ好きですけども、


『どのキャラが好き?』

『どのシ-ンが好き?』

『これからどういう展開になるんやろうね?』


...


みたいな話になるかと思うんですけど大体ね。




でも、例えば、キャラで云えば❰渚 カヲル❱くん

が好きな気もするんですが、


彼にはもれなく碇 シンジくんが付録のように

付いてきて、

当然、別の個体なんですが、

一心同体的なイメージがどうしても拭えない。


渚 カヲルを好きと云った瞬間に碇 シンジを

彼の中に見い出すし、

逆もまた然りで、


碇 シンジくんの中にも渚 カヲルは存在していて、

何だかもうどっちがどっちだかサッパリ
わからない(笑)



ほんとうはシンジが好きなのかな?

とか思えてきたり。



『いやいや、そんなややこしい理屈こねまわさないで、単純にヴィジュアルとかでええやん?』


って。それは百も承知なんですけど、

エヴァだからなのか、余計にそういう思考が

働いてしまってメンドクサイんです。


(だから、13号機の概念はウワッ、ってなりましたね。彼らは一卵性双生児的なモノですね)




で、『どのシ-ンが...』とか云われても、

何だか情報量がムダに多いし、

正直、そんなに情報いらんやろ、


っていう(笑)


情報で遊ぶな!(笑)、みたいな?


まぁ、とっても現代的ですけどね。


そして我々は見事にエヴァに踊らされてきた
訳ですよ。



庵野監督自身も云ってしまってます。


『意味ないですよ』って。


そうなんですよ。

庵野さんって人は、意味ない事を

さも、意味ありげに魅せる天才なんですよ。



そんな事云い出したら、この世の中のすべての
事象なんて、

全部意味があると思えばあるし、

全部意味がないと思えばないし、


ある時代、ある文化、ある世代、ある人々、

にとっては意味があっても、


その他の状況では何の意味ももたない要素だって

山のようにあるし。


そもそも、アンテナ立ててない限り、

その人に情報は入って来ませんから。


だって、こんだけ街中にビートルズ流れてるのに、


ビートルズ知らない人、興味ない人にとっては



『そんなの聞いた事ない』



の一言で終了ですからね。存在してないのも
同義です。



だから、庵野さんという人は、

自分が興味のある事やら、世間で流行ってる事
(もしくは昔流行ってた事)やらを、


エヴァに詰め込むだけ詰め込んで、

スポットライト当てる当てる当てる、


みたいな事してるだけであって。


『エヴァンゲリオン』って何だかロボットみたいな
名前ですけど、


ギリシャ語で『福音』(良い知らせ)という意味が
あって。

福音書みたいな書籍的なイメージもあったりで。


だから、沢山エンタメ情報が詰まってる
辞典(雑誌? メモ?)みたいな作品に

なっちゃいましたよね、エヴァってね。


(まぁ、それこそ❰広告塔❱でもある訳で

宣伝の塊みたいな作品なんですが)



最強のインフルエンサーです。





それは、庵野秀明の好きだった


ウルトラマンであったり、ゴジラであったり、

ナウシカ、デビルマン、ガンダム、マクロス、

宇宙戦艦ヤマト、...


なんかそういう日本のエンタメの歴史にはじまり、


地球が静止する日とか2001年宇宙の旅とか

洋画の要素も入れ込んだり。



尊敬する先輩監督、...

宮崎駿(ジブリ)、板野一郎(マクロス)、

富野由悠季(ガンダム)、岡本喜八(日本の一番ながい日)、

実相寺昭雄(ウルトラマン)みたいな巨人達の

スタイルをパクって、


庵野秀明流に書き換えてニュースタイルを

創ったりという。


そこから、どんどんメディアミックス戦略に

走っていって。

今でこそメディアミックスとか当たり前ですが、


当時は、例えば硬派なロックバンドが


『俺たちの曲をアニメの主題歌に使うだぁ~?

ケンカ売ってんのか?!』


みたいな時代にね。

(ミスチルの桜井さんだけは、『兎に角、タイアップ取ってきてくださいッ!』って叫んでいたという。
頭イイよね)




平気でせっせこせっせこメディアミックス、
タイアップで腹を肥やし。


これはもう先行者優位の最たる存在で、

みんな似たような戦略を取ろうとするんですが、


『エヴァンゲリオン』にやられてしまうと

全部なぎ倒されて喰われてしまうという


恐ろしい事でね。


芸能界で云えば、『明石家さんま』みたいに

なっちゃってて(笑)


さんまさんもコラボ企画に超積極的な人なのは

ご覧の通りで、


さんまのまんま、とか、さんま御殿とか

そういうので、


片っ端から芸能人に会いまくっていじくり倒して

結局、弱い勢力というか、


一芸だけで何とか這い出てきた芸能人が


良いところだけパクられて、喰われて

吐き捨てられるという(笑)


でも、スポットライト当ててもらえてる事自体は

すごく新人さんにはラッキーな状況である事は

確かで、
(『さんま砲みたいな』)


そういう意味じゃ、アンフェアではない。



でも、さんまさんはどんだけ歳を取ろうが

肉食獣のように手をゆるめない。

いつでも、前歯キラ-ッッ!!状態。



だから、お行儀よくして居れば生き残れるという
モノでもないという。



近藤真彦とかタモリとかダウンタウンとか


かなりタイミング的に遅れて出てきたにも
関わらず、


王様になれてる人というのはヤッパリそこは

どんな大物に対しても、勿論最低限の礼儀は
守った上で、


こっちも多少は食ってかかるくらいの威勢は
必要だとも思います。



...と、云いながらも、サンドウィッチマンが

あれだけ低姿勢で、やらかしたりもせずに


ほんとうの実力だけでのしあがってるのは

恐ろしい事だし、凄まじいし、


もう、大相撲で云う所の白鵬みたいなもんで

誰も文句の付けようがないっていう。



ん? 何の話だ(笑)



エヴァだったわ。



だから、僕はエヴァの内容は実はあんまり
基本どうでも良くって。


だって、そもそもパラレルワールド的な構造を

押し出した創りだし、

どうとでも変えられるし、



ドラゴンボールみたく、

死んでも生き返るしね(笑)


有難味もシリアス感もまるで無ぇ。


新作エヴァ観ていつも思うのは、


『あ~、またたくさん喰べて大きくなって...』


という。それだけ。

あとは編集(技術)がイカしてる、くらいか。



庵野さんってホントに天才だと思うけど、


たった一つあげるなら、『編集の天才』。


まぁ、そもそも『監督』という職業自体が

ある種の『編集する人』であって、


編集能力に優れてる人じゃないと、

まず向いてないってのはあって。



寧ろ、何がダメでも、絵がヘタクソでも、

オリジナルストーリー書けなくても、


『編集』の感覚だけは鬼天才みたいな人が

なる職業なんですよね、多分。


クラシックで云う、『指揮者』ですから。





新しい事なんて思い付かなくていいんですよね。




だって、事実上、新しいモノなんて無いもん。

誰かはやってますよ。


人間の歴史がはじまって以来、

一度もやった事ない事なんてま~どうだろう、


ほぼ無いんじゃないかな。


大切なのは、魅力に気付いて、

そこに良い感じにスポットライトを当てられるか


という所ですからね。



だから、アーティストなんて、結局

誰かの模倣だし、それでいいし、


その文化の歴史を掘り出していって

その文化のファンの人達と


『いいよね~~へへへ~』


とか云いながらヨダレたらす様な現象ですやん。

(あんまり村社会的なのもキボチワルイけど)



まぁ、そこに今の時代に生きている

自分の感性という線や色が混ざるから


やや、その辺で『新しい...かも?』みたく

観えるだけであって。



いや、新しいモノを否定している訳ではなくって。


僕自身、誰よりも『新しいモノ』という概念には

敏感で、

だからこそ散々『新しいモノ』って何だろう、

どういう事だろうか、


と何十年も考えた結果が、取り敢えず

上記に書いたような事だろうと。


それだけです。



いつかの昔にはスポットライトが当たっていた
かも知れないが、

取り敢えず今はスポットライトが当てられず

暗闇にしまわれている要素、概念、人物、感情...


なんかそういう類いのモノを


光のもとに引っ張り出してきて、


『これ、いいぜ』


って云う作業。


それが『新しいモノ』かな、と。


だから、変な話、とんちみたいになりますが、



『一番新しいモノ』ってのは、

『一番古いモノ』かも知れないね。



っていう(笑)



結局、シンプル イズ ベスト 的な所はあって。


最初はどの文化も『超』の付くほどシンプルに

誕生するんだけど、


後発者が先達の功績と差別化を図るために

どんどん細分化していって、


メチャメチャ複雑になってゆく。


もうね、『イ~~~~~~~ッ』ってなる程

複雑化させんの。


阿呆かと。


頭の悪い僕には解んないよ、と。



で、ある時、すごい賢いんだけど阿呆みたいな

人がポンッ、って登場して


グワッ、と細分化した文化を見事にまとめちゃう

瞬間がある訳。



絵画で云えばピカソとか。


ロックで云えばビートルズや

ニルヴァーナとか。


分水嶺になる存在がデデンッ、と出てきて


まとめちゃう。



でも、そっからまたワラワラと細分化が

始まるんだけど。



そいで、アニメで云うと、

今の所の最大のそれが、

『エヴァンゲリオン』だったなぁ、と。


そういう事です。



エヴァは見事にまとめましたね。

アニメの古今東西をぎゅぎゅぎゅ、っと。


そして、最早、アニメだけじゃない。


映画も、芸能界も、携帯やら服やら日本刀とか

駅?、ビル?...なんか兎に角ものすごく


雑食で、何でもかんでも喰べちゃった。



千と千尋の神隠しの『カオナシ』のイメージね。


あれが一番僕の中でエヴァの概念に近いかな。




『エヴァンゲリオン』は、『カオナシ』。


云いたい事もやりたい事も特にないんですよ。


でも、何だか神がかり的な能力を内包している。



そんで寂しがり屋だから、どんどん他のモノを

喰べて同化させていく。



エヴァンゲリオンという存在自体が

エンタメの補完計画ですやんねぇ(笑)



あ、でも、全然否定的な意味で云ってる訳じゃ

なくって。


現実(リアル)世界でもカオナシみたいな人、

居ませんか?

カオナシみたいな人っていうのもアレですけど(笑)


詰まり、相手を喜ばす事だけを考えて

ずんずん行動するんだけど、


結局、相手のエネルギーも自分に取り込んで
しまうような人、というか。


まぁ、そういう人って簡単に云うと、

『すんごい頭イイんですよね』。


物語の主人公タイプじゃないけど、

変な欲がないだけに、何でも出来ちゃうし、


何にでもどうにでも成れるみたいな
メタモンみたいな人。


多分、現実世界ではそういうタイプの人は

器用貧乏で苦しんでいらっしゃるかな、と
思ったりするんですが。


愛されたいんですよね、でも

自分がほんとうに求めているモノが
わかんなくなっちゃうんですよ。



答えなんて下手にもったら、それこそダルいし、

みたいな。地頭が良すぎるんです(笑)


エヴァもそういうとこ、ありますよ。


ゴ-ル無いほうが楽だし、誰よりも巨大化
出来るぜ、みたいな。


適度にミステリアス感、仄めかせて(笑)


庵野秀明さん自身もかなり器用な方だとは

思うんですが、


いわゆるカヲルくんはカオナシに近いけど。


シンジくんは千(せん)よね。


でも、どっちも庵野さんの創造したキャラクター
だし、

カヲルはメタモンだけど、

シンジはピカチュウだし、で。


二人合わせてミミッキュか?(笑)


人間なんて愛されたいだけ。それだけ。

(なんやねん、この話)


.....






で、今回、いよいよ最後と云われてる

シン劇場版でしたっけ。


あれでどうすんのか、別にいつも通り

ストーリーに興味はまるで無いんだけど、

(1997年の時みたく、2部構成になるんじゃないの?

みたいな事、云われてますよね。

まぁ、確かにこんだけ肥大化したモノを1部構成じゃおさめられまいな)


カオナシみたいに、ドバドバ~ッて吐いたら

面白いけど。


誰が泥団子食べさせるんだろう。



エヴァを喰えるほどのエンタメが

登場したりするのだろうか...

(っていうか、エヴァ、絶対終わらんやろ(笑))


......





大脱線ですね(笑)


でも、いいよね。エヴァンゲリオン自体が

もともと脱線してる様な作品ですやんね。


脱線してこそエヴァでしょ。



いい作品は人を脱線させるんですよ。


肴としての汎用性がパないんですよね。



最後に何となくマトモな事云うと、


エヴァンゲリオンってロボットじゃないですよね。


神、みたいな扱いですけど、一応生物兵器なのかな。


サイボーグというか。


ガリバーからイメージを膨らませていったらしいけど。


制御の効かない化物を拘束具でとどめて

操ってる感じ?



で、それも外っつらの話で。


結局、エヴァって、『お母さん』なんですよね。


エントリープラグってのは、子宮だし、

LCL とかいうのは羊水だし、


だから、お母さんから生まれた子どもにしか

操縦できない。


そういう設定で合ってます?


ですから、エヴァに乗るというのは、


ある種の『胎内回帰願望』的なモノですよね。


『安心したい。絶対的な温もり、世界』


みたいな。


それが、子ども達にとっては『お母さん』。


だから、ツラい世間で傷付いて挫折した

チルドレン達を胎内に還らせて、包んで

おりゃ~、って


『ママ、闘うわよッッッ!!!』



って話で合ってます?

(違うのか?)


ATフィールドってのは、いわば他者との間の壁

なんですかね。



それを破ってひとつにまとまって~、

でもヤッパリ寂しさは解消されない、みたいな?



だって人は結局、孤独だから的な。



『親ばなれ、子ばなれ』


の話でもありそうで。



うわ~ッ、もうダメだ、ママ~~ッ、


ってなってエヴァに乗って安心。


そうやって徐々に強くなった子ども達は

窓辺からやがて飛び立つんですよね。大空へ?


90年代当時で云うと、

オタクが殻を破って、社会復帰!

みたいな?

(オタクの温床になったのは誤算か?)




あ、でもね、シン劇場版の冒頭10分くらいが

公開されましたよね。



あの中で、パリの街自体に超巨大な

エントリープラグがズボッ、って入っていく

シ-ンがあって。



はじめは『また、よくわからん事なってるわ~』


ってぼけ~ッ、と観ていたのですが、


『あ、地球イコール母なる大地!』


という思考がピコン、と出て、


もうそれでいいや、って僕の中ではなりました(笑)



地球もみんなのお母さんやもんね。




...何の話だったんだろう。



最後にエヴァ風にNossy をリビルドしてみるッ。



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スイマセン、デザインの才能はありません(笑) 

(文字、曲がってるやん!)






ではでは、この辺で。


皆さんに幸せが訪れますように🌈✨




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