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Nossy(のっし-)です。



実は最近、Spotify (スポーティファイ)という 
ストリーミングのサービスを利用し始めたんです。


いわゆる音楽アプリでして、ネット上で 
様々なアーティストの音源を無料でボンボン
聴けてしまうというモノ。
(有料版というのもあり、そこでしか開放されてない音源もあるが...)


無料でメチャメチャ聴けてしまう。


僕が本格的に音楽を聴き始めたのはかれこれ
18年前になる。


その時はなんとカセットで聴いて居ました。


それまでまったく音楽に興味の無かったヤツが、
なかなか眠れない時期があって、

それを克服するために(?)何か音楽でも聴いて
みようか、という事で


父親が持っていたカセットテープをラジカセに
セットして聴いたのが能動的に音楽を聴いた初め。


中島みゆきとかテレサ・テンとかあったんだけど
当時はまったくピン!、と来なくって


唯一反応したのが、ドリカム(笑)



常々、僕の音楽デビューはマイケル・ジャクソンと
書いて来ましたが、

実はその前にこの経験があるんですよね、ふふ(笑)


父親が持っていたドリカムのアルバムは

『LOVE GOES ON...』『MILLION KISSES』。


僕は『MILLION KISSES』をとても気に入って
毎日毎日聴いて居ました。



僕はその頃「イヤホン」の存在を知りませんでしたので

とても小さな音で聴いていたのを覚えています。
(夜ですからね)


『不便だなぁ、なんか大音量で聴ける方法はないのか?』と一年間くらい悩んでました。

バカですよね(笑)

そういう平和なヤツなんですよ~



でも、振り返るとそういうものすごく限定された
ある種の不便だとも思える状況が

人間に深い知識を与えるのではないでしょうか?




僕は『MILLION KISSES』を阿呆ほど聴きまくりました。

だって、それしかないからね(笑)

しかも、夜、大音量も出せない中で
(親に怒られるからね)

真剣にじっくり聴いて居たんですよ。



多分、メチャメチャ味わって聴いたと思います。


ドリカム好きっていう人も、

「未来予想図Ⅱ」や「何度でも」「LOVE LOVE LOVE」「優しいキスをして」とかは知ってても、


「彼は友達」とか「この恋はハ-ドボイルド」
「薬指の決心」「銀河への船」みたいな曲は

知らない人も多いのではないでしょうか。


スゴイ良い曲ですよ。
(まぁ、それ云い出したらファンで、しかも1枚ずつアルバム聴いていかんと分からないのは当たり前でしょ!、って云われそうだけどね)



その後はTSUTAYAみたいなレンタル屋で
CD を片っ端から借りる日々を延々と続けました。


沢山棚にささってるアルバムに指を当てて
一つずつ念入りにチェック!


マニアックなアルバムだったらよく探さないと
発見出来ないからもう必死ですよ(笑)


すごく売れてるアーティストならばまとめて分かりやすくコ-ナ-になってるからいいけど、


そんなに売れてないけど、1枚くらいスゴイ良い
アルバムがある!、

みたいなのを探し当てる難しさよ(笑)


ネットも使ってなかったので、何の情報もなし。

頼りになるのはアルバムの表紙や裏、中に入ってる
冊子を抜き取って曲目を調べる。


そんな感じで10年くらいはやって来たんです。



その後はYoutube を発見して。


どうしてもレンタルや店で売ってないレア音源を
誰かがアップしてくれてて喜んだり。


そうやってアナログな手法からデジタルに流れてきて。


その頃になると趣味の一つとして、

自分なりのコンピレーションアルバムを作るのが
日課になりました。


CD からパソコンに音源を取り込んで、
自分で曲をピックアップして、

このバンドの自分なりのベスト、とか
ドライブには、ゆったりタイムには、
散歩時には、友達の為に、...


みたいな感じでこれまた沢山沢山作りました。



そして、今までやって来なかったストリーミングに
手を出してみたんです。

存在は知ってましたが、何だか乗り気になれなくて
手を出さずに居たのです。


ですが、新しい事をやってみよう期間として
やってみた。


この2020年5月の事です。



あの、ドリカムをイヤホンなしで
夜、小さな音でラジカセで聴き始めてから18年後。



これ聴いて、


「こいつ阿呆やん」


って思うかも知れません。


勿論、時代の問題もあるんですよ。
僕は昭和の生まれです。



でも、それでも遅すぎやろ、と。
そういう突っ込みがあるかも知れない。



でも、僕はこういう過程を通過できて良かったと
思ってます。



これが、初めからストリーミングだったらと
考えると僕は恐ろしい。


多分、深く追究なんてしてなかったと思う。

今の10代、20代とかの人がどうなのか
全然分からないけれど。


Spotify には無料で大抵の有名なアーティストの
音源がそろってる。


スマホ開いて、ポチッ、と押せば流れる。

簡単だ。恐ろしいほど簡単だ。



余計なお世話だという事は分かっている。 

オッサンの戯言だとも思う。



...しかし、ヤッパリ思ってしまう。


「これ、探究したりするかな?」


って。



簡単に手に入るのは素敵だ。


だけど、簡単に手に入らないからこそ

手に入れた時の幸せも大きいし、

長くそれを愛するのではなかろうか。



限定されているからこそ、長く深く
五感で吸収するのではないだろうか。



結局、スピードが早い、というのがあるのだ。


右から左、右から左、右から左である。


『ながら聴き』というのも当たり前になってきている。
(それは僕もやってしまう)



それで沢山消費した気分になっている。

でも、多分、消化不良なのだ。



食べ物が溢れているのに、全然栄養を摂取できていない。


僕自身、昔ほど吸収出来ていない自分に気付いて
愕然としている。


これは歳を取ったからというより、じっくり 
向かい合っていないからだと感じる。




人間がきちんと育つにはゆったりした時間が
必要だと思っている。



僕だってコロナの一件がなければ新しい事をやってみよう期間を作ったり、

Spotify を始めてみようなどとは思わなかっただろう。



コロナは大変かも知れないけれど、
コロナが終息しても


このある種のゆったりした時を、

制限された状態の貴重さや利点を、

相手への思いやりの感情を、


どうか忘れずに生きてほしいと思う。




勿論、大量の情報をきちんとさばける人は
沢山の出逢いの可能性があるという意味では
素晴らしいのだと思います。


沢山の情報やデ-タをちゃんと人の個性だと、
人の温かみが詰まったモノである事を忘れずに

受け止められていれば問題はないと思う。


ネット上の無数の情報は全部❰人間❱なのだ。

新しい人間との出逢いだ。


その点では現実(リアル)と何ら変わらない。

真実と虚構が入り乱れている部分も同じ。


まぁ、真実は人の数だけあるとは思うが。



でも、実際、ホントの友達って10人居るかどうか
じゃない?
どんなに多くても100人も居ないじゃない?(笑)


ちゃんと向き合ってる人間という意味では。


ネットの情報も同じだと思う。全部人間。





僕は今、この事態の中で昭和を感じて居ます。


あのいつかのゆったりとまどろんでいた日々を。



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