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Nossy(のっし―)です。


今回は、20世紀の初めから半ばまで親友であり、良きライバルでもあった

二人のレジェンド画家である、


ピカソとマティス


について、2人を対比するようなカタチで語っていきたいと思います。


ピカソvsマティス。

まさに、


ゴジラvsキングコング

みたいなモノかな、と(笑)


かたや形の革命家。かたや色彩の革命家という。



勿論、そう単純な話ではないんですが、そうは云っても、

ピカソの絵を観ればカタチに一番興味をもっているのは明らかだし、

マティスも色彩についての発言ばかりが目立ちます。



まぁ、このページを開いてここまで読み進めているアナタは、

2人について何となくは知っている可能性が高いように思いますが、


2人のプロフィールを簡単に説明します。



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まず、ピカソですね。
(ローマ法王?)


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まぁ、若い時はこんなですが。


パブロ・ピカソ


1881年10月25日生まれ。さそり座。

スペイン人。


父親が売れない画家。美術教師をして生計を立てているという家。

はじめて話した言葉は『鉛筆(ちょーだい)』。


一けたの年齢で既に父親よりも明らかにセンスのある上手い絵を描いていた。

父親はピカソに絵の教育を施す。


でも、それがイヤになって友達とフランスへ逃げる(20歳)

そこで貧乏しながらも一旗あげる。

【キュビズム】という絵画のカタチの革命を起こし、美術界を驚かせる(26歳)


その後も作風をコロコロ変えながらも絵を描き続け、

1973年に91歳というなかなかの長寿をまっとうして死去。



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アンリ・マティス

1869年12月31日生まれ。やぎ座。

フランス人。


裕福な穀物商人の家に生まれる。

厳格な父親に『裁判官になれ』と命じられて学校に通うが

盲腸炎にかかり入院(イヤだったんでしょうねぇ...)


その療養中に母親から『絵でも描いてみたら?』と画材道具をプレゼントされる。

そこから一気に絵に目覚める(20歳)

美術学校に通って絵の勉強を始める。


1905年に仲間たちと共に激しい色彩を特徴とした絵画を発表。

【フォービズム】と名付けられた(36歳)


しかし、それから3年も経たないうちに本人の趣向が変化して、

『人々の目を安心させるような安楽椅子のような絵を描きたい』


と云って、激しい画風を封印。


以後も主に色彩に着眼点を置いたような絵を描き続け、

1954年に84歳で死去。



...という感じ。

二人が初めて出会ったのは、1905年~1906年頃。

丁度マティスが【フォービズム】の絵画と共に世間の注目を集めた時ですね。

ピカソ26歳。マティス36歳。

10歳の差がある2人でした。


初対面ではお互いライバル意識バリバリで、一言も口を利かなかったとか。


しかし、特にピカソからのアプローチだったと思われますが、

段々と距離を縮めていき、お互いの絵を見せ合ったり、購入し合ったり、

絵画について真剣に語り合うような関係になったようです。



で、これはあくまで私の個人的な印象なんですけど、

ピカソは

パクリの天才なんですね。


常に仲間が描いた絵を全部観察していて、『あっ、これイイね!』と思ったら

自分の絵として描きなおして発表してしまうっていう。


で、基本的な画力が高いもんだから、元は誰かのアイデアだった筈なのに

いつの間にかピカソの手柄にされているみたいな(笑)


ですから、ピカソにはみんな自分の絵を見せなくなったそうですよ。

パクられたらイヤだから。


そんな調子でピカソ無双をしていた時に、マティスが現れた。

これはピカソにとって相当衝撃が大きかったみたいです。


何せ、昔の巨匠は別としても、同時代の画家であれば、基本的に

自分に敵うような相手など到底出て来そうにないと思っていたようですから。


マティスの絵を観てもらったら分かると思いますが、

画力がそんなにある画家ではありません。

その点ではピカソのほうがはるかに上です。


そして、器用で素早いピカソに比べて、何だか思考にも絵の完成にも

随分と時間を費やすマティス。


....なんですが、マティスにはピカソも唸らせるような発想力があったのです。


しかも、かなりの思考実験を繰り返したのちに完成されてきますから、

ピカソお得意のパクリもなかなか通用しません。


そんな訳で、お互い一目置く存在となり、それはお互いが死ぬまで変わりませんでした。


日本では一般的にピカソのほうばかりが注目されがちですが、

対(つい)とまではいかないにしてもお互いの絵が相当影響されている事実があります。


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ピカソの【夢】。



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マティスの【夢】。



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マティスがミノタウロスに注目したら...


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ピカソも描き出すっていう。



でも、この2人、いちいち面白くて、


何だか全部が真逆なんですよ。アプローチが。



ピカソは、1枚の絵に集中して時間をかけまくるって事をあんまりしなかったんですよね。


ピカソは、すごいカルカチュア的な捉え方で絵を描いているような気がします。


ある物を描こうとする。そうすると、それに忠実に描くというよりか、

その対象が一番印象的に表されるような構図を自分の中で創ってしまう。


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例えば、この女性はピカソの若い愛人のマリー・テレーズです。


ここからピカソはマリー・テレーズを印象的に表現するカタチ、構図を生み出す。

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こんな風に。


そうしたら、後はその構図をひたすら繰り返して描く。描く。描く。


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.....こんな風に。


これは、絵を深めていってるのとはちょっと違うと思うんですよね。


どちらかというと【絵日記】みたいな感じです。


今日のマリー・テレーズみたいな(笑)



一方のマティスはというと、人物を描くとなったら、毎回その人物を呼んで、

対象を目の前にして描きます。

ピカソはそんな事しません。最初の何回かは観ながら描くかも知れませんが。


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だから、さっきの【夢】にしてもこんだけ描きます。

くそ真面目にもほどがありますよね(笑)


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同じ構図を沢山描いている、という点では同じですが、意味合いが全然違います。


静物画を描く時も、


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わかりますかね。


これ、構図を決めるために、紙に絵を描いて動かしながら出来るお手製のセットですよ。

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写真も残ってますが、この絵だけで30回以上描いたらしいです。


そうして完成したのがこちら。


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マティスさん?



これがあなたの求めていた構図だったんですか。

そうですか。


なんか独特なバランスでコメントしづらいんですが...




また、マティスはどうも


『絵は一部だけでなく全体を観てほしい』


みたいな事を思っていたみたいです。


人物画って、どうしても【顔】に目がいくと思いませんか?

でも、マティスはそうじゃなくて、全体の色合いを含めてバランス良く観てもらいたいと。


そういう思いがすごい伝わってくるんですね。


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ですから、顔を簡略化して描いています。

誰だかわかんない。



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えらいべっぴんさんを描いているようですけど...




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あとで殴られたりしませんでしたか?



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挙句の果てには



『顔、いらなくね?』


っていう。


まぁ、確かに全体をバランス良く観られる絵にはなってますよ!


なんかバカにしたような芸風で書いてますが、結構好きです(笑)



一方でピカソと云えば


【顔】を描く画家


だと思いませんか?


もう、


『顔さえ見てくれたらOK』


みたいなノリすらあります。


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こうして改めて観ても、顔の存在感がスゴイ!

絶対に誰かわかります。



それだけでなく、彼はカタチの研究を女性の顔を用いて実験しました。

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その姿勢は最晩年までまったく変わらず。


背景も省略されているような絵が多いです。


『描かれている人物を観ろ。特に顔を観ろ』

みたいな感じですね。


ピカソは静物画とか風景画も描いていますが、ダントツで【女性の肖像画】が多いです。


スペインの商業画家はみな【肖像画】で食っていたので、

当然、父親からも『肖像画家になれ』、みたいな事を云われていたみたいですが、


そこから逃げたにもかかわらず、やっぱりやった事は【肖像画家】だった訳ですな。


色彩も奇抜で独特ですが、どうもそんなにこだわりを深くもっているようには

見えないんですよね。

(何様やねん)

いや、なんというか、あくまでも『カタチを映えさせる為の塗り方』みたいに見えるんですよ。






で、マティスは晩年は足腰が悪くなってしまって、車イス生活だったみたいです。

握力も弱ってきたようで、なかなか思うように絵が描けなくなった。


そこで、なんと


【切り絵】


という手法に切り替えたんです。


助手の女の人に画用紙に色を塗ってもらって、マティスはそれをハサミで

ジョキジョキ切って、それをキャンバスに貼って、

絵画にしていたのです。


必要に迫られて辿り着いた苦肉の策でしたが、また画期的ですよね。


しかし、当時は


『これは絵画と云えるのか?』


とかって問題視されたらしいです。


でも、マティスにとっては、『どう頑張っても、線と色彩とが完璧に合体、調和しない』

というような課題に終始悩まされていたそうで、


それが、【切り絵】では見事に解決しているという事で

本人には目からウロコ的な展開だったようです。


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なるほど、なかなか美しいですよね。


しかもみんなすごく大きなサイズの絵なんですよ。


一応絵を描く事も諦めずに試みていて、



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こんな長い棒を駆使して描いてます。器用なやっちゃ。


そうやって描いた晩年の代表作が



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この教会のデザインです。


これは壁の絵だけでなく、ステンドグラスのほうもデザインしたみたいで


教会全体をマティスのプロデュースでデザインしたようです。





ハイ。

ネタも尽きましたので、この辺で終了ですが、


ピカソはマティスが死んでからも、あと20年先まで生きたのですが、

『結局、マティスだけだった』


と寂しそうにしていたそうですよ。


微笑ましいエピソードですね。


こんな友人、ライバルが居たら、人生が生き生きしそうですよね。


私はお二人共に好きでございます。




それでは、また次回。


皆さんに幸せが訪れますように。


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