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Nossy(のっし-)です。


今回はビ-トルズのドラマ-である

❰リンゴ・スター❱について語りたいと思います。



ただ、最初に言い訳をしておきますと、

これはなかなか書きづらいのです(笑)



ほんとうの所、❰リンゴ・スター❱についての文章は

プロのドラマ-の人に書いてもらう他ないのかも
知れない。



一般の人、音楽を1度も自分でやった事がない人、

更にはドラムを叩いた事がない様な人には


彼の真の魅力は語れないと思います。


かくいう私もバンドは組みましたし、ライヴも

幾度となくやりましたが、


ドラマ-ではなかった。


ですから、私にはリンゴ・スターのうま味が理解出来ません。


表面的な事は何となく書けます。

性格だとか、面白い出来事だとか、そんなのは。


でも、彼はほとんど作曲をしませんし、そうなると

話の中心は本来ならばドラミングになる筈ですが


そこは私にはわかりません。



プロ中のプロのドラマ-は口をそろえて云います。


『リンゴ・スターは間違いなく天才である』


と。



あの滅多に人をほめない厳しいガンコ親父の

松本隆さんですら、


『私の神様はリンゴ・スターです』


と云うのだから。



確かに彼のはっぴいえんどの時代の音源を聴いてみると、

どこかしらリンゴ・スターの様なドラムを叩いていらっしゃいます。



一般人がビ-トルズを聴く時、歌メロの良さ、

ヴォ-カルの強烈な個性、ハ-モニ-、

革新的なコ-ド進行、ぐにゃぐにゃ動くベ-スまでには注目しても


さしてドラムの仕事には耳がいかない。


だが、もし、リンゴがビ-トルズのドラムでなければ


ビ-トルズは売れたのか??


答えは『売れたと思います』


『でも、これほどまでには売れなかったでしょう』



上手いドラマ-として、毎度毎度話題になる

レッドツェッペリンのジョン・ボ-ナムや

ザ・フ-のキ-ス・ム-ン。



確かに彼らのドラミングは派手だし、

一般人が聴いても『あ!なんかすごい!』とわかります。


でも、リンゴのドラムは昔から一般大衆には

『そんなに上手くないのでは?』


などとも云われて来ました。


天才の仕事は常人には理解不能という訳ですね。



でも、取り敢えずこれだけは云えます。


『彼のドラムは楽曲を最大限に活かすドラムである』

と。


ジョンやポ-ルが次々に作ってくるヘンテコな曲に対して

すぐさまその曲の意図を読み取って、

その曲を活かすドラムを叩く。


そんな事は誰にでも出来る事ではありません。


私はやった事はありませんが、バンドを組んで

ビ-トルズをコピーしてみればいいんだと思います。


その時はじめてリンゴ・スターの偉大さに気付く訳ですね。


『なんだこのドラム?!』って。



●リンゴ・スターの悲劇



1940年7月7日に誕生。

蟹座のA型です。


本名はリチャ-ド・スターキ-。


それが、指輪が好きで、両手に幾つも付けていたら❰rings❱と呼ばれるようになったり、

リンゴ・キッドという人物に憧れていたりしたので


芸名を❰リンゴ❱にする。


リンゴ・スターキ-でも良かったが、何だかごろが
悪いのでスターキ-を半分にして、

❰リンゴ・スター❱にしたそうです。


❰スター❱は因みにつづりは❰Starr❱と「r」が2つです。



詰まり、林檎も星も全然関係ない訳ですが、

日本人にしてみたら随分不思議な響きの名前という事になるのでしょうね。





労働者階級の出身で、両親は3歳の時に離婚。


病弱で小学生低学年時にはほとんど病院生活だった為、

学業についていけなくなる。


医者からドラムを教えてもらって夢中になったあとは

ドラム以外には興味を失い、学校には二度と戻らずに


昼は工場労働、夜はダンスパ-ティ-でドラムを叩いて過ごしました。



プロのドラマ-となって数々のバンドで実戦を経験。



ビ-トルズのメンバーと本格的に顔見知りになったのは


遠征先のドイツでの事。


その時は「ロリ-・ストーム&ハリケーンズ」というバンドで叩いていました。


ビ-トルズは同じ店で人気を競い会うライバル関係にありました。


しかし、当時のビ-トルズのドラマ-であった

ピ-ト・ベストの具合が悪い時などは


ヘルプでリンゴがドラムを叩いたりする事もあったようで


ジョンやポ-ル、特にジョ-ジは

『リンゴがドラムを叩いてくれるとすごくいいグル-ヴが生まれる』


と感じていた様です。



1962年のビ-トルズのメジャーデビューに際して

プロデューサーのジョ-ジ・マ-ティンによって


ピ-ト・ベストが(技術不足で)首にされ、

『それじゃあ、リンゴに声をかけてみようよ!』


という事でメンバーとなる。



が、マ-ティンはリンゴのドラムも気に入らず、


セッションドラマ-のアンディ・ホワイトが叩く事に。



結局、1962年10月5日に発売された
ビ-トルズの記念すべきデビューシングル

「Love Me Do」に使われたのは


リンゴ・スターがドラムを叩いたテイクでした。


が、それ以降のアルバム『Please Please Me』に収録されたモノや

それ以降の様々なものに収録された「Love Me Do」

はアンディ・ホワイトが叩いたVer のモノです。



アンディVer の時はリンゴはタンバリンを叩いていて、

リンゴのドラムがダメだったからというよりは

タンバリンが入っているほうがいいというのと、


その他のメンバーの演奏もたまたまアンディがドラムをやった時のやつのほうが


パフォーマンスが良かったから、


という事だと思いますね。



リンゴがドラムをやっている「Love Me Do」が聴けるのは

現在は『パストマスタ-ズVo.1』というアルバムのみです。


(因みに「Love Me Do」のB面である

「P.S.I Love You」もアンディがドラム、リンゴはマラカス担当で

リンゴがドラムを叩いたVer はありません)




そんな訳で、この出来事はリンゴにとっては相当こたえたみたいで、

マ-ティンにも長いこと恨み節があったようです(笑)


しかし、マ-ティンもすぐにリンゴのドラムの良さを理解する事になります。