Nossy (のっし-)です。
前回に続いてポ-ル・マッカートニーを語ります。
第3回はいよいよビ-トルズ内でポ-ルの力が
強まってきた時代からのお話です。
●前衛好きなのはジョンではなくてポ-ルとヨ-コ
...ビ-トルズをそこまで詳しくない人にとっては
ビ-トルズの『前衛性』『実験性』を担っているのは
ジョン・レノンだという印象があるのではないでしょうか?
もちろんジョンも前衛や実験が嫌いではありません。
しかし、それにとても積極的かと云えば、
それは『No』と云いたい。
実験好きなのはポ-ルなんですよ。
「Tomorrow Never Knows」の数々のエフェクト、
カモメが鳴いているような音とか、
そういうのを創ったのはポ-ルです。
原案はジョンなんですが、ジョンはもっとシンプルにしか考えて居ません。
究極の話、ジョン・レノンという人は
『詩が最高ならばメロディーなんていらないんだ』
なんていう発言があるくらい、
ミュージシャンというより詩人色の強い人です。
かなりポップなボブ・ディランみたいな感じです。
それに対してポ-ルは、メロディーありきで
いつも歌詞に四苦八苦するタイプ。
そして音で遊びたい人です。
完全に音楽家ですね。
「Strawberry Fields Forever」にしたって、
『アンソロジー』の初期のデモを聴いてみれば分かるんですが、
ジョンの頭の中では弾き語りの作品としてのイメージでした。
それを完成品のあの感じに飛躍させたのは
他でもないポ-ルなのです。
公式の音源はない様ですが、
ポ-ルが1967年の1月頃に作った
「Carnival Of Light」という14分ほどの実験音楽は
とんでもなくハイセンスなアンダーグラウンド音楽です。
これを1967年に作っていたポ-ルの先取り感は
大変なモノです。
最高のポップスも書けるのに、こんなにダ-クで
前衛的な曲も作れるとは...
ちょっと比較対象が見当たらなくて申し訳ないのですが、
例えば、ヴェルヴェットアンダーグラウンドの初期の作品の一部が
かなり前衛的だと捉えるならば、
この「Carnival Of Light」は30年くらい先取りして
いるのではないか、と思うほどです。
はじめて聴いた時は、マッシヴアタックやトリッキーみたいな
トリップホップの様にも聴こえましたし、
ケミカルブラザーズ的な感じもありますね。
何か90年代的です。
これを『SGT.ペパー』を作っている裏で作っているんですから
いやはやすごい多彩というかバランス感覚もすごいというか。
ただ、これを『アンソロジー』に収録しようとしたら
ジョ-ジやリンゴをはじめ、全員に反対されたという逸話もあります。
まぁ、それはそうですよね(笑)
これはビ-トルズファンの多くが望んでいるような
モノではないかも知れませんよね...
私はどちらかというと好きですが。
それでいて、「Revolution 9」をホワイトアルバムに入れるのには
断固反対するポ-ル。
まぁ、確かにポ-ルは変なの作っても入れてませんからね。
そして、あれもジョンというよりヨ-コの趣味が
強いと思います。
ヨ-コは元々前衛芸術家ですし、ジョンもヨ-コと
一緒に作った作品を世に出したい、
となってくると、ああいうモノになってしまいます。
他に「What's The New Mary Jane」というジョンの曲もあります。
未発表でこちらは『アンソロジー』に入っていますが、
これもジョンとヨ-コが好き勝手やったような曲ですね。
『ホワイトアルバム』の記事でも少し触れましたが、
当初ジョンが考えていた「Revolution」は、
構成的にはこんな感じの作品だったのかな、と。
(「Revolution」のほうがもっとキャッチ-ですけれども)
一応、ポ-ルの話なんですが、どうしてもジョンも
たくさん出てくるのはご愛嬌。
なんせ、両方語らないと完結させられないんですよね。
ジョンは周りの影響をとんでもなく受けやすい人です。
それは誰だってそうだとは思うんですが、
ポ-ルやヨ-コはもっと確固たる自分をカッチリ
もっている様な気がします。
で、ジョンは二人に振り回されている感じ。
面白い捉え方をするならば、
ジョンが女の子で、ポ-ルとヨ-コという
男性的で我の強い二人が
ジョンを取り合いっこしているみたいな(笑)
でも、ホントにそういう所、あったと思います。
それでいてポ-ルもヨ-コも
時に扱いにくく、めんどくさく、重たいジョンを
『今は邪魔!』とか云って身勝手に遠ざけたりする。
ジョンはそれでどうしていいかわからなくなる。
すっごい子どもなんですよね、ジョンは(笑)
ポ-ルはほんとうに天才なんです。
絶対的な天才で、この世で彼の問題となるのは
ジョン・レノンだけなんです。
それはジョンが死んだ今も続いています。
あ、悪い意味じゃなくて、ですが。
ただ、死んでしまう事で変に伝説化してしまう所があって、
リアルタイムのロックファンはよく云うんですが、
『なんでジョン・レノンってこんなに神格化されてんの?
死ぬ前とかもう完全に過去の人って感じだったし、
大して誰も注目してなかったじゃない?』
と。
それが、非常にショッキングな最後だっただけに
妙にみんなの印象に残ってしまったんですね。
いや、勿論、ジョンはすごい人なんですよ。
でも、ポ-ルはずっと、相手が死んだって
ジョン・レノンと比べられる人生で。
しかも、なんかジョンのほうが評価が高い感じもあったりで、
たまにイラッ、とするけどもう本人に文句も云えないしで。
別れた昔の女房みたいになってるんですよね(笑)
もしくは死別したお笑い芸人の相方みたいな。
西川きよしさんと横山やすしさんみたいな。
すいません、脱線しまくりですね(笑)
計画的に書いて居ませんので。
●『俺がしたいのは離婚だよ!』
...ポ-ルは何とかビ-トルズを存続させようと思って、
『ビ-トルズじゃない呈でアルバム作ろう』(『SGT.ペパー』)
とか、
『会社建てよう』(アップル・コア) とか、
『ライヴもう一回やろう』(ゲットバックセッション)
とか、
様々な案を出して一人で突っ走っていきますが、
動けば動くほど他メンバーとの溝は深まるばかりで
結局乗り気なのはポ-ルだけで空回り。
というか、ポ-ルが有能過ぎてスピードについていけないという事もありますし、
ポ-ル自身も若さゆえの考えの足りなさとかもあって
混乱は大きくなるばかり。
最後の最後にジョンに叩きつけられた言葉が、
『俺がしたいのは離婚だよ!』。
やっぱり比喩だとしても、ポ-ルの事を夫婦みたいな
パ-トナ-だと思っていた訳ですよね。
ポ-ルは
『間違いなく一本目の白髪が生えたのはあの時だったね』
それでポ-ルは後に曲の題材にもする
スコットランドにあるキンタイア岬の農場の家に
閉じこもって酒とドラッグに溺れる日々。
そこから救い出したのが妻のリンダでした。
●ポ-ルの結婚
...すいません、話が前後してしまいますが、
ポ-ルの初めての結婚相手は、
写真家だったリンダ・イ-ストマンです。
ポ-ルの一つ年上で、やはり活動的な女性でした。
リンダは離婚歴が1回ありまして、
初婚の相手とは、
『保守的で内向的だから合わなかった』という理由で離婚。
一人娘のヘザーが連れ子でした。
1967年頃にポ-ルと出会っていて、
なんやかんや関わっている内に恋仲になり、
1969年3月に出来ちゃった結婚します。
ポ-ルは超外交的だからいいですよね(笑)
ちなみにジョンもヨ-コと1969年3月に結婚しています。
仲良しか!(笑)
ジョンは2回目、ヨ-コは3回目の結婚で、
ジョンにはジュリアンという男の子、
ヨ-コにはキョ-コという女の子が居ましたが、
どちらも自分の元には連れてきていません。
●ウイングス結成
...ビ-トルズ解散!
それも明らかに『1対3』みたいな図式で
ポ-ルがハネにされる様な形での解散。
ポ-ルも結構ワガママしてましたし、
でも、良かれと思って動いていたんですけど
全部裏目裏目に出てしまって...
客観的に見るとジョン・レノンのほうが随分
ヒドイ様な感じもするんですが、
彼は良い意味でも悪い意味でも❰素❱ですからね(笑)
いつも暴言を吐いてるし、意外と自分にも厳しいし。
たまに優しさを見せるとすごい褒められるみたいな所は
役得ですね。
ポ-ルは損得はめちゃくちゃ考えてますが、
相手を陥れてやろうという様な行動は絶対にしないんですよね。
(ジョンはやる)
でも、普段がそんな感じなだけに、
少し毒を吐くとものすごくキツく聴こえるし
マイナスの印象を与えてしまいます。
ポ-ルは謎の損のスパイラルに陥っています(笑)
まぁ、解散後も他の3人は揃ってもポ-ルだけは
仲間外れにされたりする日々が続くんですが、
愛するリンダに励まされて、ソロ活動を開始して、
段々感覚を取り戻してきて、
『よ-し、だったらいっその事ビ-トルズを越えるバンドを作ってやるぁぁぁ!』
といって結成したのが❰ウイングス❱。
翼のバンド。
●そして、2度目の大成功
...ジョンやジョ-ジも70年代初頭はヒットアルバムを出したんですが、
70年代半ばになると共に失速。
ポ-ルはやっぱりスゴくて、いきなりは成功しませんでしたが、
コツコツコツコツ地道に曲を作って発表して
1973年の『Band On The Run』でついに大成功!
ウイングスもすっかり軌道に乗りました。
ただ、メンバーの固定は全然出来なくて、
妻のリンダもバンドメンバーなんですけど、
(あんまり上手に弾けないけどキ-ボ-ド頑張ってますよ! たしか写真家だった筈ですが)
あとはデニ-・レインっていうギタリスト、
そしてポ-ルの3人は最後まで残ったんですが、
他の人々はたくさん入ってたくさん辞めました(笑)
やっぱりポ-ルは(特にミュージシャンとしては)
対等に人と接する事が出来ないんですよね。
本人はそのつもり無くても、どこか見下してる感じになっちゃいます。
ポ-ルは万能人間ですからね。
『弱味を見せた時に人はほんとうに輝く』
とか云いますけども、
ポ-ルもたまには『助けて~』ってすがり付けば
良かったですね。
ジョンなんて強気を見せている様で、
すぐ『助けて~』って云いますもん(笑)
愛されキャラですよ。
結果としてビ-トルズほどの成功はムリでしたが、
それでも十分70年代に大きな爪痕は残したと思います。
ウイングスの活動期間は1971年~1981年の
ちょうど10年間。
しかし、解散の大きな原因は日本ですよ(笑)
●ポ-ル、逮捕される
...1980年はビ-トルズファンにとっては
かなりショッキングな年でした。
1980年1月16日、ソロのツアーで成田空港に
降り立ったポ-ルは税関に大麻を発見されて
逮捕されてしまいます。
あちゃちゃ、ですね。
ソロとしてはやっと叶った来日だったんですが、
強制送還させられてしまいます。
この事が色々響いてウイングスはなし崩し的に
消滅。
そして、1980年12月8日には
ジョン・レノンが狂信的なファンによって射殺されてしまいました。
ハッキリいって、80年代は全体的にビ-トルズが
一番ヤバかった感じがありますね。
株が下がりまくっていたというか。
ただ、後半もち直すんですが。
.....
あ、結構長くなってきてますね。
続きはまた次回。
次で最終回にしたいですね。
ネタもあと少しなので(笑)
では、また。
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