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Nossy(のっし―) です。


仮にも芸術家のはしくれならば、何か今までに無かったような

新しいモノを生み出したいという欲求は当然ありますね。



でも、【新しいモノ】って結局の所、

その人の個性や感性


でしかなくって。


それ以外の技術や知識というのは、ヤッパリ誰かしら、何かしらから影響を受けているモノで、

完全に無から出てきたというのは実は無いと思います。


本人はそう思って居ても、無意識下で、

今までに見た、聞いた、感じた【何か】が元になっています。


それがほとんどそのまんま出る事もありますし、

幾つもが混ざって出る事もあります。



【赤色】という要素を吸収して、

自分というフィルタ―を通って出てきたら

【朱色】になっていた。

【ワインレッド】になっていた。

【マゼンタ】になっていた。

【えんじ色】になっていた。


...そういう感じですね。


【赤色】と【青色】を吸収して、

出てきたら【紫色】だったとか。


【青色】と【黄色】を吸収して、

出てきたら【緑色】だったとか。


...そういう感じですね。



兎に角、技術や知識はどうしたって何かしらの影響元があるはずですが、


なぜ【新しいモノ】が誕生するかというと、


それは個人の感性のたまものでしかないです



ですから、新しいモノを生み出すには

ざっくり云うと2つの方法論があります



ひとつ目は、【独学】です。



専門的な教育を一切受けずに、自分の思った通りにやってみる。


絵にしても音楽にしても独学で大成した人は結構多いです。


技術的にはその分野においては【稚拙】と表現されるような

いわゆる【ヘタクソ】な感じになっている事も多いですが、


一番の強みは自分の個性がよく出ている


という点ですね。


習うのは勿論素晴らしいんですが、

技術を知るとどうしてもそれに溺れてしまって

ムチャクチャが出来なくなってしまう人は多いです。



【新しいモノ】というのは、少なくとも

ムチャクチャ


という表現がピッタリのモノのはずですから。



ふたつ目は、【過去の作品を観察する】


という事です。


これ、教育を受けて技術を知るのとは違うんです。


学校の教育は兎に角、基礎の技術を教えてくれるだけです。


まぁ、「だけ」といって、何事にも基礎知識って大切だとは思いますが、


料理のやり方を教えてもらっても、

誰でもシェフになれる訳ではありませんよね。


実際に出されている美味しい料理を自分で食べてみないと。

そして、それについて、


『どうやって創ってるんだろう?』



と考える訳ですね。


で、想像で勝手にやってみる。

多分、間違っているんですが、何かが出来ます。


そうして出来たモノが自分の作品です。


ある意味、新しいモノは

間違っているモノ、とも云えます。

(新しいモノは勘違いからよく生まれます)




話が少しズレましたが、...




自分が目指そうとしている道のかつての伝説の存在達、

そして現役のプロ達、...


その仕事を観て、盗む。



それをしない事には、技術だけあっても

どうしようもありません。


学校で教えてくれる事と、現場でやっている事は

不思議ですが、まるで違いますからね(笑)



習った技術や知識だけでやっていると、


仏つくって魂入れず


みたいな作品ばかりが量産されてしまいます。




で、ほんとうを云うと、

【独学】と【過去の作品を観察する】は

両方必須だと思います。



学校の勉強と、上記のモノと、

どちらかを選べと云われたら迷わず後者を選択するほど重要です。



勿論、その上で勉強もすれば最強なんでしょうけれども(笑)



でも、人って他人とか学校で何かを教えてもらったら、

どうしてもその型にハマってしまいます。


最終的に辿り着きたいのはおそらく


ムチャクチャ


という所のはずなのに。



【ムチャクチャ】は型にハマっている限りは

絶対に辿り着けない境地です。



型を学んでしまっても、そこから何とかかんとか

それを自分で崩していく必要があります。



そういう点で、性格的に大胆とかズボラとか

メンドクサがりというのはかなり役に立ちます(笑)



几帳面でしっかりした人は型を隅から隅まで

キッチリ守ってやりますから


とても上手いんですが【ムチャクチャ】にはなりません。



そういうジレンマは常にありますよね。


ピカソなんかは、はじめから超絶技巧をもっていて、

そこからあれだけムチャクチャ出来たから

スゴイ訳です。



ゴッホは多分ほとんど独学。


で、案の定生きている間は誰にも理解されなかった。



新しいモノはブサイクです。




でも、何十年もするとそれが普通になっている。


寧ろ、それが主流になっていたりします。




だって、今までこんな感じの絵が流行りで
壁に飾られていたのに、


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何十年かすると、


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これになってるっていうのがムチャクチャでしょ(笑)



どっちも女性を描いた絵ですけれども。



で、当時は下のほうは

『ムチャクチャやん!』



って云われまくったはずなんですよ。


でも、今はお金持ち達がこぞって何億円と払って買おうとするんですよね。


多分世界全体で云うと、

上の絵よりも下の絵のほうが人気です。
多分。


完全に価値観の崩壊が起こっています。


こういうのを

【新しい事を成し遂げる】



と云う訳ですね。



でも、ピカソも実は上の様な絵も描けます。


しかし、絵画の新しい扉を開ける為に

下の絵に変化していきました。



ゴッホは独学ですからデッサンはかなり狂っていますが、

そこにこそ新しい感動がある訳です。



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しかし、残念ながら存命中にはブサイク扱いしかされず、


終わってしまいました。


余談ですが、ゴッホは日本の浮世絵が大好きで沢山たくさん収集して居ました。

(お金もないのに)


ですから、絵の背景にも浮世絵が描かれて居ますね。



岡本太郎だって、当時としてはかなり大胆な事をしていて、


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こんな感じの絵が並んでいる様な展覧会に、



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こんな感じの作品をズガ―ンッ、と一人だけ出品していて、


廻りからは、「漫画かよ!」とか云われたりしていた訳です。


まさに戦いですね。



ハイ。




で、私はと云うと、もう完全に独学です 



絵なんて習った事もありません。

あ、学校の美術の授業は一応受けましたけど。

でも、すごく詰まらないと思っていた記憶がありますね。


そして、授業で使う教科書(過去の色んな人の絵が載っている本)ばかり眺めていました。



そんな感じです。



別に何が正しくて、何が間違っているとかは
無いと思います。


几帳面でしっかりした人も世の中には必要ですし、


そういう人が新しいモノをまったく創れない訳ではありません。


ただ、芸術というのは、どこか一般常識から
逸脱しているとより光輝くモノでして、


それは個性の爆発であるし、

新しい価値観が誕生する瞬間でもある訳ですね。


そこにこそ、真の感動のドラマがあるという事なのでしょう。




だって、


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これも、


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これも、


当時としては


『なんじゃこりゃ~~』



だったんでしょうが、今ではわりと普通になっちゃってますからね。


この驚きはほとんど消化されてしまった様です。

(いや、実はそうでもないかな...?)



そういう訳でブサイク、ヘタクソはまだまだ発展の可能性アリ、です。



あ、しかし、【奇をてらう】みたいなのは

あまり上手い手ではないのかも知れません。


ヤッパリ、ただムチャクチャなだけというのでもダメな訳ですね。


自分で『これはイイ!』と思っていないと。


自分が『最高だ!改心の出来だ!』、

と心から思っている作品が出来たのに、


廻りの評価が著しく良くない...、


という状況は実は非常にチャンスかも知れません。


新しいモノが出来ているという事ですから



新商品の企画会議とかで、

【10人中5人が

『それ、いいね!』と云ったらボツにしなさい。

それは新しくない】


という様な話もあったりします(笑)





まぁ、.....

ゆっくりやっていきましょうかね(笑)



ではでは、今回はこの辺で、


皆さんに幸せが訪れますように



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